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「青木宣親、獲れないですか?」幻に終わったドラフト指名…元監督・山下大輔に聞く横浜ベイスターズ“TBS時代の迷走”「希望を出してもなかなかね…」
posted2025/04/22 11:07

横浜ベイスターズ監督時代は2年連続の最下位に終わった山下大輔氏。当時は球団フロントとの足並みも揃っていなかったという
text by

村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph by
Hideki Sugiyama
26年ぶりに手にした日本一。だが横浜DeNAベイスターズが栄光に至るまでには、長く、忘れがたい“暗黒時代”があった。勝率が3割台に落ち込み、年間100敗も現実味を帯びていた2000年代前半。当時の指揮官は「とにかく勝てないベイスターズ」でどう活路を見出そうとしていたのか。2003年から2年間、チームを率いた山下大輔氏に話を聞いた。(全3回の3回目/第1回、第2回へ)
幻に終わったドラフト指名「横浜・青木宣親」
――2003年はTBSも補強にお金を掛けていて、タイロン・ウッズだけではなく、前年にデビルレイズで16本塁打のスティーブ・コックスを3億円で獲得。FAで若田部健一、トレードで中嶋聡やデニーを獲得するなど大きなバックアップをしてくれました。
「そうですね。ただ、コックスはすごい大きなお金を掛けたんだけど、大きいケガをしやすい選手だったらしくてね。春のキャンプで契約の2年を棒に振る大きなケガをしてしまった。若田部もオープン戦の時に体調を崩してね。やっぱり身体に力が出なかったんじゃないかな。今でもあいつに会えば、何年も経っているのに『申し訳ありませんでした』って頭を下げてくる。こっちはもう忘れているのにね」
――フロントではアマチュア出身の山中正竹氏が専務取締役という実質的なGMとなった年でもありましたが、選手獲得に関しては山下さんも意見は出されていたのですか?
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「ほぼ出していませんね。遠慮があったのかもしれないけど、山中さんとはチームの戦力について具体的な話をしたことはほとんどないです。ドラフトでも、自分の入った情報で希望を出してもなかなかね……。ひとつ覚えているのは早稲田の青木宣親(2003年ドラフト4巡目でヤクルトに入団)を2位か3位で獲れるという情報があって『獲れないですか?』と聞いたら、『うちには同タイプの田中一徳(1999年ドラフト1位)がいるから』って一蹴されちゃったとかね」