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酷評された“謎采配”も「じつは意図があった」山下大輔が明かす“暗黒期ベイスターズ”の真実「村田修一を叱った日」「ウッズのバントが唯一の後悔」
posted2025/04/22 11:06

2004年8月、東京ドームのベンチで厳しい表情を浮かべる横浜ベイスターズの山下大輔監督
text by

村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph by
JIJI PRESS
26年ぶりに手にした日本一。だが横浜DeNAベイスターズが栄光に至るまでには、長く、忘れがたい“暗黒時代”があった。勝率が3割台に落ち込み、年間100敗も現実味を帯びていた2000年代前半。当時の指揮官は「とにかく勝てないベイスターズ」でどう活路を見出そうとしていたのか。2003年から2年間、チームを率いた山下大輔氏に話を聞いた。(全3回の2回目/第1回、第3回へ)
“仏のヤマシタ”が村田修一を怒鳴りつけた日
――山下さんは現役時代にゴールデン・グラブ賞8回の名ショートでしたが、監督時に我慢して使った守備陣には言いたいこともたくさんあったのでは。
「監督の理想というものは頭の中にあるものです。ただ目の前にいる選手たちの力を最も発揮させるベストな方法は、それとは別であることが多い。村田修一は試合に出すにはセカンドに置くしかなかったし、古木克明の筆舌に尽くしがたい守備もね(笑)。とんでもないのはよくわかるけど、目を瞑ってゲームで使っていくうちに少しでも進歩してくれることを期待していました。ミスをするのはしょうがないんですよ。ただ、怠慢プレーをした時には必ず怒りましたよ。数は多くないですけどね」
――“仏のヤマシタ”と呼ばれた山下さんですが、現役時代、ヘッドコーチの頃には雷を落としたことがあると聞きます。監督の時にもあったのですか?
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「一度ね、村田が不甲斐ない打撃で、しっかり走らなかったことがあった時にベンチに帰ってきた彼を怒鳴りつけたことがありますね。どれだけ三振しようとも、エラーしようとも構わないんです。失敗はその選手のレベルがあるからね。ただ、その失敗を次の日の練習で活かすには、必死にやらないとね。普段は滅多に怒らないです」
――ありがたいお叱りを受けた村田も今年コーチとしてベイスターズに帰ってきました。これからたくさんの後進を育ててくれるでしょう。ちなみに“監督の理想の野球は頭の中にある”と仰いましたが、山下さんの理想はどんな野球なんですか?