野次馬ライトスタンドBACK NUMBER
「青木宣親、獲れないですか?」幻に終わったドラフト指名…元監督・山下大輔に聞く横浜ベイスターズ“TBS時代の迷走”「希望を出してもなかなかね…」
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村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph byHideki Sugiyama
posted2025/04/22 11:07

横浜ベイスターズ監督時代は2年連続の最下位に終わった山下大輔氏。当時は球団フロントとの足並みも揃っていなかったという
「大魔神・佐々木の復帰もマスコミから聞いた」
――そんなことがあったんですね……。2003年のドラフト自由枠は吉川輝昭に森大輔という投手2人。シーズン途中には中日を退団したギャラードを獲得したり、2004年には大魔神・佐々木主浩がメジャーリーグから復帰しました。山中さんは勝てるチームをつくるためには投手力の強化が絶対と考えていたようですね。
「それを知ったのも僕が辞めてからですよ。投手の獲得もTBSサイドの独断で、僕は全然知らなかった。佐々木が帰ってくるなんて大きなこと、年が明けた1月の末にマスコミから聞いてはじめて知ったんです。やっぱり、球団からその話がないのはちょっとおかしいよね」
――いろんな事情があったのだと思いますけど、総じて現場と球団フロントは嚙み合っていなかったのでしょうね。
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「なんていうかな。ちょっとバラバラでしたね。選手は球団が獲ってくるんだけど、スカウトも含めて、次年度に向けての戦力の分析なり、補強のポイントを球団として共有できていなかった気がします。翌年に自分が辞める時も10試合ぐらい試合が残っていたので『まだ発表はできない』って言ったんですけど、次の監督の発表が予定されていたとかでね。退任会見は神宮のロッカールームでやりました。結果的に2年で契約は満了なんだけど、その会見にも球団の人は1人も来なかったんですよね」
――2年目の2004年は同じ最下位でも、ウッズは2年連続本塁打王、多村仁志は40本、100打点と完全覚醒。佐伯貴弘がリーグ3位の.322で、三浦大輔も復調。勝ち星は14勝上乗せして、勝率は.324から.437にアップ。5位の広島まであと一歩、成長が感じ取れる毛の差の敗けでした。
「ねぇ。『メジャーリーグなら最優秀監督ものだ』って友人が冗談で言ってましたけどね(笑)。でも球団にはそういう目で見てくれる人はいなかったということ。方針は1年目も2年目も変わらなかったけど数字がよくなったのは、選手が成長してくれたからです。球団から契約をしないと言われた時に、『このチームをもっと見ていたい』という無念の思いは確かにあったと思います。それは一緒に戦ってきて、自分の子どもたちじゃないけど、いろんな部分でみんなの成長を助けて、勝ってよろこびを分かち合いたかったということなんでしょうね」