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衝撃の“ドラフト指名漏れ”から3年…山田健太のいま「野球やめようかなと思いましたけど…」大阪桐蔭「最強世代」最後のプロ入りへ「何がなんでも」
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佐藤春佳Haruka Sato
photograph byHaruka Sato
posted2025/04/14 11:05

日本生命で活躍する元大阪桐蔭高の山田健太内野手
檜舞台になるはずだった代表戦の不運な中止。思えばそこから、運命は反転していったのかもしれない。22年10月20日のドラフト会議。事前の報道でも指名は確実と言われ、注目を集めた中で、山田は運命の時を迎えた。
「僕は会見場ではなく、寮の部屋で友達とインターネットの中継を見ていました。同級生の荘司(康誠)は楽天の1位と公言されていたので、その隣には座りたくないなと思っていたので……」
まさかの指名漏れ、その時…
「山田健太」の名は、最後まで呼ばれなかった。上位指名という見方もあった中で、まさかの指名漏れだった。当時の思いを率直に振り返る。
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「周りにも注目されてプロに行けると漠然と思っていましたけど、実は全然自信がなかったと、今になれば思います。それこそ、荘司の隣に座るのは嫌だなと思っていた自分もいたわけですから。社会人に進んで、1年目の時に思いました。もしあの時プロに行っても、すぐにクビだったな、って。負け惜しみかもしれないですけど、守備もバッティングもそれくらい技術が足りていなかったと思う」
傷心の山田に、当時の立教大・溝口智成監督と、大阪桐蔭時代の西谷監督は奇しくも同じ言葉をかけた。「人間万事塞翁が馬」。目の前の結果に一喜一憂するな、本当の吉凶は後になってからしかわからない。諭すように、思いを伝えてくれたのだという。
「勝手にプロ行けると思っていて指名漏れして、その直後は本当に、もう野球やめようかなと思いました。でも色々な人に言葉をかけてもらって、こんなにたくさんの方に応援されているのだと分かった。その声に励まされて、またもう一回頑張ろう、またみんなを喜ばせたいと思えるようになりました」
ベテランの姿に「自分はスカしてたな…」
進んだのは都市対抗、日本選手権で計7度の優勝を誇る社会人野球の名門・日本生命。挫折から再スタートを切った新天地で、山田は新たな刺激を得た。目にしたのは10歳近く年上の選手が泥だらけになって必死にプレーする姿だった。
「ベテランがそれくらい泥臭くやっている姿に驚きましたし、もの凄くかっこいいと思った。野球に対してみんな熱いんです。自分はスカしていたな、もっとガツガツやらないといけないと初心に返ったような思いでした」
まず取り組んだのは苦手だった守備の強化だ。大阪桐蔭の先輩でもある岩下(知永)コーチの指導を受け、足の置き方やグローブの形など基礎的なところから見直した。バッティングは1年目の23年は日本選手権で打率.364と活躍するなど順調だったが、2年目は大きな壁に当たった。出場した都市対抗や日本選手権近畿地区予選などを通じて結果を残せず、迷う日々が続いた。
“指名解禁”昨秋のドラフト会議は…
「あれもダメ、これもダメみたいな感じでした。ドツボにハマって、失敗を恐れて、という感じで自分の軸を持てなかったと思います」