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「J史上最長24年連続ゴール」山瀬功治が引退…激動のサッカー人生を語る「戦力外通告に“苛立ち”…2度目の大ケガでは妻が落ち込みすぎて」
posted2025/04/11 17:00

25年にわたるプロ生活に終止符を打つ決断をした山瀬功治(43歳)が、激動のサッカー人生を明かした
text by

二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
Shigeki Yamamoto
J史上最長の24年連続ゴール
山瀬功治らしい幕の引き方であった。
レノファ山口との契約満了に伴って現役引退をすぐに決断したわけではない。43歳の大ベテランは可能性が低いことは分かっていても、どこかのクラブから突然声が掛かってもいいようにプロ26年目を見据えて準備に余念なく、今年1月いっぱいをリミットにオファーを待った。2月に入ってスパイクを脱ぐ決心を「自然に」受け入れることができたのも“日々を悔いなく生きる”という己の信条をまっとうできたからにほかならない。
「京都サンガで満了になったのが2016年でした。アビスパ福岡に決まるまでに時間が掛かって、このまま引退になってしまうかもと思って以降、今年で終わりかもしれないって毎年感じてきたこと。長く続けたいと思ってやってきましたが、チームがなければそれはもう現役終了のタイミング。まだプレーもできるし、どこかチームがある選手とはまた(決断が)違って、自分の場合は引退せざるを得なかったところがありますから」
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2000年に北海高から加入した地元の北海道コンサドーレ札幌を皮切りにJリーグ一筋、浦和レッズ、横浜F・マリノス、川崎フロンターレ、京都サンガ、アビスパ福岡、愛媛FC、レノファと8クラブを渡り歩いてきた。リーグ戦646試合出場(J1通算288試合、J2通算358試合)を果たし、24年連続ゴールは遠藤保仁と並んでJ史上最長である。
2度目の大ケガで「妻の方がショック」
彼の25年間を振り返ってみれば、「激動」という言葉がふさわしい。プロキャリア前半は、ケガとの壮絶な戦いだった。コンサドーレ時代の2002年に右膝靭帯断裂で腱を移植する手術を施し、レッズ時代の2004年には左膝前十字靭帯断裂。同様の手術を行なって、再び長期離脱に追い込まれてしまう。選手生命を揺るがしかねない大ケガを一度ならず二度も。それでも下を向くことはなかったという。