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「J史上最長24年連続ゴール」山瀬功治が引退…激動のサッカー人生を語る「戦力外通告に“苛立ち”…2度目の大ケガでは妻が落ち込みすぎて」
text by

二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byShigeki Yamamoto
posted2025/04/11 17:00

25年にわたるプロ生活に終止符を打つ決断をした山瀬功治(43歳)が、激動のサッカー人生を明かした
「若いころからサッカー界に身を置いてきて、先輩たちが(契約を)切られてしまう現実は見てきたし、サッカーに限らず契約社会はそういうものだって頭では分かっているつもりでした。でも悔しさ、苛立ちはありました。ほぼすべての時間を費やしてきたものにダメ出しをされて、クラブに要らないって言われるわけですから。
ただ何回も(契約満了を)繰り返していると、何か慣れてくるんですよね。だから別に、心の葛藤みたいなものも特になくなっていきました」
それぞれのクラブで若返りの方針や監督交代などで事情も変わってくる。自分がコントロールできないものに、気持ちを揺さぶられる必要はない。日々、サッカーに対して真摯に向き合ったうえでの結果なら、受け入れて次に進めばいいだけのことと、彼は結論づける。能動的に新天地でチャレンジするマインドになっていく。
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サンガで4年間、アビスパで2年間、愛媛FCで3年間、しっかりと出場機会を得ている。レノファでも1年目の22年シーズンは34試合、ピッチに立っている。これはどのクラブであっても貴重な戦力となっていたことを示している。
「練習中、監督って自分がやってほしいプレーだとか、監督自身がいいと思っているプレーに対してはリアクションがある。僕じゃなくても、ほかの選手に対して『ナイス!』って言うと、求めているプレーが分かる。ミーティングでも監督が意図すること、チームがやろうとすることを僕は理解しようとします。その人のニーズに応えるというのはビジネスだって同じじゃないですか。プロになってから、ずっとそれは変わらずやってきたこと。
あとは自分の場合、縁もあると思うんです。真摯に取り組んできた自負はあるので、そのことが縁をつなげてくれてプロで25年もやれたのかなっていう気はしています」
俺が、俺が、と我を通すのは自分のスタイルではない。“使い勝手のいい選手になる”が山瀬の基本的なスタンスだ。だからこそどこでも重用され、クライアントつまりはチームの要望にも応えてきた。これもまた息の長いプレーヤーとなった欠かせない要素であった。
どこかにターニングポイントがあったわけではない。プロ1年目のコンサドーレ時代、山瀬功治の目指す道がはっきりと示されていた。
