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「ありがとう山瀬功治」敵チームから奇跡の横断幕…“J史上最長24年連続ゴール”山瀬功治は「わがまま移籍」でも、なぜサポーターに愛されたのか?
posted2025/04/11 17:01

25年にわたるプロ生活に終止符を打つ決断をした山瀬功治(43歳)が、激動のサッカー人生を明かした
text by

二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
Shigeki Yamamoto
「ありがとう山瀬功治」の横断幕
ちょっとした奇跡だった。
2月27日に現役引退を表明した山瀬功治の引退セレモニーは3月2日、レノファ山口の本拠、維新みらいふスタジアムで行なわれた。奇しくも対戦相手は9年ぶりにJ2で戦う北海道コンサドーレ札幌であり、アウェイのサポーター席から「俺達の街の誇り ありがとう山瀬功治」の横断幕が掲げられている。
コンサドーレのサポーターに愛されていたことがよく分かる一コマだ。
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山瀬が北海高を卒業して地元の北海道コンサドーレに加入したのがちょうど25年前。日本代表を率いてフランスワールドカップを戦った岡田武史監督が指揮を執って2年目となる2000年シーズンであった。山瀬はルーキーイヤーながらJ2で14試合に出場し、J1昇格に貢献している。U―19日本代表に選ばれるなど将来を有望視されるアタッカーは勢い任せではなく、考え方が大人びていた。己とチームを客観視し、求められる役割が何かとアンテナを張った。
「周りと比べても実力不足ですから。得意なポジション、得意なプレーはあっても、それで試合に出られるほど甘くはありません。どうやったら岡田さんに使ってもらえるのか、自分なりに考えました。僕みたいな若手がスタメンで出ることってほぼないので、途中から出るとなったときにチームの流れをスムーズにして、求められることをしっかりやれるかどうか。技術が拙かったら使えないと思われても仕方がない。技術を磨くところは一生懸命やったと思います」
快足で鳴らすブラジル人ストライカーのエメルソン、1999年の世界ユース選手権の準優勝メンバーである播戸竜二が前線にいて、山瀬は「3人目の動き」を明確に意識するようになる。岡田からの要求というより、生き残るためにはこれだと自分に言い聞かせた。
「1年目はエメルソンとバンさん、J1に昇格した2年目はウィルとバンさんと、明らかに相手が警戒するストライカーがいて、僕がどうすれば邪魔せずにうまく回せるかって考えながらプレーしていました。ストライカーに警戒がいく分、僕らに対しては隙が少し生まれるので、今ここのスペースが空いているなというのは最初の2年間で培った気がしますね。当時のU―19、20代表の経験も大きかったなとは思います。誰かがスペースを空けて、誰かが入っていくというのはよくやっていたので」
中学時代のブラジル留学で得た“信条”
実力不足と自ら断じても、ひるむ要素とはならない。むしろ生き残っていくヒントとする。それは中学時代、2年9カ月に及ぶブラジル留学の経験が影響を及ぼしていると言える。20人以上の集団留学という形で、最年少の山瀬は高校生、大学生に混じって、毎日ボールを蹴り続けた。洗濯、掃除など身の周りのことは自分でやり、ポルトガル語の勉強もやった。一日をどう使えば効率的にできるかを、この年代で身につけている。