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「J史上最長24年連続ゴール」山瀬功治が引退…激動のサッカー人生を語る「戦力外通告に“苛立ち”…2度目の大ケガでは妻が落ち込みすぎて」
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二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byShigeki Yamamoto
posted2025/04/11 17:00

25年にわたるプロ生活に終止符を打つ決断をした山瀬功治(43歳)が、激動のサッカー人生を明かした
「右膝をケガした経験も大きかったとは思います。治療してリハビリして復帰していくものという、ドクターからその過程を示してもらえるので不安は一切なかったですね。治らないかもと思ったこともありません。ただ1回目もそうでしたけど、調子のいいときに限ってそうなるというか、自分のイメージが先行して体がついてこない感覚。2回目のときにもそう思ったのと、また手術後の痛みが嫌だな、リハビリが大変だなって。それくらいでしたよ。別に落ち込むこともなかったですね」
ただ、本人よりも妻・理恵子さんがひどく落ち込んでしまった。同じ北海道出身で小学校の教諭を務めていた彼女は人一倍、責任感が強いタイプだという。食事、栄養面でサポートしつつ、ともに戦っているからこそショックは大きかった。
「ケガした次の日のことはよく覚えています。妻が落ち込みすぎて、翌朝起き上がれずにずっと泣いていましたから。ケガした僕が慰める感じになっていました」
自分の体と深いところまで会話
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今では笑い話にできるほど。2度目の大ケガをきっかけに妻はより栄養学に力を入れるようになり、チームの管理栄養士とコミュニケーションを密に取りながら回復を早めるための食事で山瀬を支えていく。
両膝の前十字靭帯断裂を経験しながら、そこから日本代表に呼ばれ、かつ20年にわたってJの舞台でプレーした。F・マリノス時代は腰椎椎間板ヘルニア、フロンターレ時代はグロインペイン症候群に、サンガ時代は足底のケガに苦しめられた。だが自分の体に対して真摯に向き合ってきたことで、キャリアを重ねるにつれて大きなケガが減っていったのも事実である。
山瀬は言う。
「大きなケガを先にして自分なりに体の仕組みを学ぼうとしたし、治る過程を経験できたのは凄く良かったと思います。トレーナーの方に痛みを伝えるにしても、正確に言えるようになりました。たとえば腰痛でも、実際は腰の場所から離れたところの筋肉が張っていてその影響で(腰に)痛みが出ている場合もあります。体の声を聞きながら自分である程度把握できていれば、対処してもらえるのも早い。セルフケアも絶対に必要で、ちょっとした道具を使ってほぐしたりケアしたりすることもずっとやってきました。もちろん普段の栄養面においては妻のサポートも当然ありがたかったですね。栄養学も年々バージョンアップしていて、医師による講習会などにも積極的に参加して常に最新の栄養学に基づいた料理をつくってくれましたから」
基本的に就寝する5時間前に夕食を終え、糖質を最後に摂取するなどコンディションづくりにおいて食事から細かく徹底してきた。体の状態を把握し、セルフケアも忘れない。一つひとつの取り組みによって息の長いプレーヤーとなり、2度の大ケガがあったからこそ自分の体と深いところまで会話することができた。
初の戦力外通告に「苛立ちはありました」
激動のサッカー人生はケガばかりではない。山瀬は最終クラブとなったレノファを含め、F・マリノス、サンガ、アビスパ、愛媛FCで5度にわたって契約満了となっている。特に日本代表に復帰したシーズンともなった2010年、プロキャリア最多となる33試合に出場しながら、松田直樹、河合竜二、坂田大輔、清水範久らとともにF・マリノスから受けた初めての「戦力外通告」は波紋を呼ぶことになった。