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「主将として何ができるのか」木村沙織が語る宮下遥との“朝練の時間”「遥のトスが明らかに変わった」リオ五輪を決めた“特別な試合”《NumberTV》

posted2025/02/13 11:02

 
「主将として何ができるのか」木村沙織が語る宮下遥との“朝練の時間”「遥のトスが明らかに変わった」リオ五輪を決めた“特別な試合”《NumberTV》<Number Web> photograph by Asami Enomoto

日本女子バレーのエースにして日本代表主将を務めた木村沙織がNumberTVで自らの「挫折地点」を明かした

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田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

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Asami Enomoto

  日本のバレー界を牽引し続けた唯一無二のエースには、 心の奥底に閉じ込めてきた〝あの頃〟の痛みがあった。「Sports Graphic Number×Lemino」制作のドキュメンタリー番組NumberTVから特別記事を掲載する。<全2回の後編/前編も公開中>
【初出:Number1114号[挫折地点を語る]木村沙織「本当は4年間、苦しかったのに」より】

宮下遥との“朝練の時間”

 五輪が近づけば、メダルを獲ったロンドンのチームと比べられる。最もわかりやすい形で矛先が向けられたのが、竹下の後にセッターとして選出された宮下遥だ。15歳から岡山シーガルズでプレーする177cmの大型セッター。日本代表にとって待望の逸材ではあったが、国際経験はない。しかも比べられる相手はあの竹下だ。木村自身も「テンさん」と親しみを込めて呼ぶ竹下に、何度も救われてきた。

「('11年の)ワールドカップ前に、チームとして速いトスにチャレンジした時期があって、私だけ対応できなかった。スパイクの打ち方すらわからなくなってしまった時に『沙織には生き生きとプレーしてほしい』 と助けてくれたのがテンさんでした。大げさじゃなく、テンさんがいなければ、私はあそこまで自由にプレーできなかった、って思います」

 かつてスランプに陥った自分を竹下が救ってくれたように、不安と戦う宮下に、チームに向けて主将として何ができるのか。それまでは「みんなでチームをつくろう」とその都度顔を見合わせてきたが、五輪予選という何より結果が求められる戦いを前に、やるべきは手を取り合って「頑張ろう」と笑い合うことではない。宮下が1人で朝練をしていることを知った木村は、翌朝から参加し、スパイクを打ち続けた。

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「そこでやらずに不安を抱えたまま大会に臨んだら、絶対に後悔すると思った。でも、そのおかげで遥のトスが明らかに変わったんです。『お願い』と託されるトスからも『大丈夫かな?』という不安ではなく、余裕を感じられるようになりました」

 迎えた本番。日本を含めた8カ国で4枠を争う五輪予選は熾烈を極めた。しかも木村は敗れた3戦目の韓国戦で右小指を脱臼。続くタイ戦もフルセットまでもつれ、一時は6点差をつけられてから、奇跡とも言うべき崖っぷちからの逆転勝利だった。

リオ五輪出場を決めた「特別な試合」

 そして第6戦、イタリアに勝利するか、敗れても2セットを取ればリオ五輪出場が決まる。まさに大一番と言うべき試合で、木村が爆発した。「困ったら全部トスを持ってきていいから」と宮下に伝えると、「沙織さんを信じていた」という宮下はトスの大半を木村に集めた。敗れはしたが2セットを得たため五輪出場が決定。31得点を叩き出した木村は「朝練の成果が出た」と微笑み、特別な試合だったと振り返る。

「ここで(五輪を)決めたい気持ちはもちろん強かったですけど、あれだけ打って、自分が決める、とガツガツできたのも久しぶりで楽しかった。すごくスッキリ、背負っていたものを全部下ろせた。“これが木村沙織”っていうバレーができました」

 ずっと避けてきた「挫折」の記憶。時に楽しそうに、時には涙を浮かべ声を詰まらせながら振り返る日々は木村にとって、どんな意味を持つのか。

「結果も出なかったし、苦しいことのほうが多かったですけど、今思うとキャプテンだった4年間が一番成長できた。だから同じように悩んでいる人にアドバイスしてあげられますね。もっと人を頼っていいし、 苦しいと認めていい。そうすればもっと楽になるし、成長できるよ、って」

 誰より、あの頃の自分にそう伝えたい。

<前編から続く>

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