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「どこかで逃げてきたんです」木村沙織がいま明かす“しんどかった4年間”「苦しそうに見えますって聞かれるたびに…認めたくなかった」《NumberTV》
posted2025/02/13 11:01

日本女子バレーのエースにして日本代表主将を務めた木村沙織がNumberTVで自らの「挫折地点」を明かした
text by

田中夕子Yuko Tanaka
photograph by
Asami Enomoto
【初出:Number1114号[挫折地点を語る]木村沙織「本当は4年間、苦しかったのに」より】
主将になることを誰よりも戸惑っていた
引退から8年。木村沙織が「挫折」と正面から向き合うのは、初めてだった。
「そもそも挫折って何か、あんまり考えないように、どこかで逃げてきたんです。あの頃は特に、しんどかった、っていうことを認めたくなかったんだろうな」
木村が振り返る「あの頃」とはいつを指すのか。銅メダルを獲得したロンドン五輪翌年から、日本代表主将として過ごしたリオデジャネイロ五輪までの4年間だ。
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小学2年生からバレーボールを始め、下北沢成徳高2年時の2003年に日本代表へ初選出された。翌年のアテネ、08年の北京五輪にも出場し、ロンドンではメダリストになった。しかもチームのエースで、日本女子バレーの顔とも言うべき存在。木村が主将になることに異論を唱えるほうが少数なのだが、誰より戸惑っていたのが他でもない、木村自身だった。
「そもそも私、人前で話すのも苦手だし、キャプテンなんてやったこともない。ミーティングのたびに、若い選手たちが『沙織さんは何を話すんだろう』と目を輝かせて聞いてくれるのに、大したことも言えない。 ミーティングは本当に苦手でした」
キャプテン気質には程遠いことに加えて、ロンドン五輪を終えるとセッターの竹下佳江が引退し、荒木絵里香が出産のため休養。「自分の感情を人に伝えるのが苦手」という木村が唯一、本音を明かせる主将経験者たちもいなかった。
「苦しそうに見えます」と聞かれるたびに…
'14年の世界選手権は初戦でアゼルバイジャンに敗れ、最終結果は7位。翌年のW杯も5位と結果が伴わず、試合後の取材では、 いつも同じ言葉を投げかけられた。
「『苦しそうに見えます』って。そう聞かれるたびに、あー私、苦しんで見えるのか、って。でもそれを認めたくない、意地汚い負けず嫌いだから、全部ポジティブに変換して『今はここを頑張ります』と答えていました。結果が出ていないのはわかっていたし、自分自身のパフォーマンスも上がらない。だから余計に、苦しいとか大変だということを認めたくなかったんです」
<後編へ続く>
【番組を見る】NumberTV「#14 木村沙織 苦しいと、誰にも言えなかった。」はこちらからご覧いただけます。
