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「ワシはもう死んだものと思ってくれ…」“高校サッカー最大の誤審”はなぜ起きたか? 作陽・青山敏弘のVゴールを見逃した審判の苦悩22年
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2025/01/20 11:01
22年前の資料を手に、のちに「誤審」と認められた作陽vs水島工業戦を振り返った青木隆さん(66歳)
「俺たちの勝ちだろ!」
閉会式後、作陽の選手たちは審判団の控え室の前に陣取った。泣き叫びながら判定に対する異議を訴え続けた。
野村監督は選手一人一人に言葉をかけながら「チームとしてしかるべき対応をとるから、ここは一度引き上げよう」と必死に説得を続ける。
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悔しさを押し殺しながら選手たちが会場を後にしたのは、閉会式からおよそ1時間後のこと。青木たちはそれを待ってから外に出た。ずっと胸が締め付けられる思いで控え室にとどまっていたという。
青木が失意のどん底に叩き落とされたのは、帰りの車中だった。電話の主は岡山県サッカー協会の後輩審判員。嫌な予感がした。
「もしもし、青木さん? テレビで試合を観ていましたが、あれ、完全に入っていましたよ」
全身の震えが止まらなかった。携帯電話をギュッと握ることが精一杯で、その後の会話は記憶にない。
帰宅するとそのまま部屋に戻り、決勝戦の録画映像を再生した。そこには、確かに右奥の内ポストから跳ね返るボールが映されていた。
「紛れもなくゴールでした。つまり、作陽の優勝でした。自分は取り返しのつかないことをやってしまった……そう思いました」
判定へのバッシング、学校には報道陣も
岡山県サッカー協会は容赦のないバッシングを受けた。抗議の電話はもちろん、ネットの掲示板には誹謗中傷の言葉が並ぶ。
「どうやったらこんな誤審が起こるんだ」
「もう二度と審判をやらせるな」
矛先は優勝した水島工業にも向けられた。選手権への出場辞退を迫る電話や手紙が届き、新聞には投書が掲載された。選手にも自責の念が生まれ、辞退を主張していた水島工業のエースは選手権を前に退部した。
当時、高校の教員だった青木の職場にも電話が殺到した。次第に、報道陣が自宅に押しかけるようになり、電話番号もさらされた。現代のようにSNSが発達していれば、映像などが次々と拡散され、さらに激しい糾弾があったかもしれない。それほどの事態だった。
憔悴する夫を知る妻は、当時の様子をこう振り返る。
「本当に目の前からいなくなるんじゃないかってずっと不安でした。毎日、無事に帰ってくると言葉には出しませんでしたが、『あ、良かった、帰ってきてくれた』と思って安堵していました」
長女も「おばあちゃんに『ワシはもう死んだものと思っていてくれ』と伝えているのを聞いて……毎日不安でした」と、あの時を思い出し、俯いた。