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「みんな(原晋)監督のことも信用できなくなって…」16年前の箱根駅伝…青学大“33年ぶりの復活出場”のウラにあった「チーム崩壊の危機」 

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和田悟志

和田悟志Satoshi Wada

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photograph by(L)AFLO、(R)Sankei Shimbun

posted2025/01/13 11:02

「みんな(原晋)監督のことも信用できなくなって…」16年前の箱根駅伝…青学大“33年ぶりの復活出場”のウラにあった「チーム崩壊の危機」<Number Web> photograph by (L)AFLO、(R)Sankei Shimbun

2009年の箱根駅伝に33年ぶりの復活出場を決めた青学大。いまでは常勝軍団となった同大だが、その黎明期にはさまざまな危機もあったという

 この33年前、青学大は途中棄権に終わっていた。脱水症状に陥った10区の杉崎孝がフィニッシュ地点までわずか150mを残して意識を失ったのだ。そしてそれ以来、箱根路から遠のいていた。大会後、杉崎に会った宇野は、感謝の言葉をかけられた。

「杉崎さんも途中棄権したことがずっと心残りだったそうで、僕らの襷がきちっとつながったことで、自分の中でもすっきりしたという話をされていました」

 33年越しのゴールは、多くのOBにとっても悲願だった。

33年ぶりの箱根路から2年前…チームの惨状

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「笑顔の襷リレーをしよう」

 それは本戦出場が決まる前に、チームで立てた目標だった。

「正直、4年間すごくつらかった。練習がきつかったのももちろんですけど、チームの危機もあったから、最後くらい楽しく笑って終わろうって。それだけでしたね」

 当時の主将だった先崎(まっさき)祐也は言う。

 先崎が「最もつらかった」と振り返るのは、その2年前のシーズンだ。04年に原監督が就任して強化が進み、この年にはインターハイ入賞者が複数名入学。予選会突破への機運も高まっていた。ところが、部になじめなかった有力なルーキーが次々と部を去っていき、予選会は16位と、前年から順位を3つも落とした。

「このチームはもう箱根に出られないのかなという雰囲気が漂い、チーム内に亀裂が入った時期でした。なかなか結果が出ず、みんな、監督のことも信用しきれなくなっていたと思います」(先崎)

<次回へつづく>

#2に続く
「ビリなのになんで笑顔なの?」青学大“箱根駅伝33年ぶり復活出場”で「気分は優勝」の最下位ゴール秘話…原晋監督も「お祭り気分でいいから」

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