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「そんなの無理でしょ」全国高校駅伝26年前の奇跡…部員は「卓球部やスキー部の素人ばかり」なぜ無名校の“寄せ集め集団”が「全国4位」になれた?
posted2024/12/22 06:02
text by
山崎ダイDai Yamazaki
photograph by
取材対象者提供
「何を言っているんだろう、この人――」
今を遡ること約30年前の1995年。中学3年生だった松崎雄介は、自身を勧誘に訪れた高校教諭の話を聞いて、そんなことを考えていた。
「5年以内に都大路に出場することを目指しています」
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目の前にやってきた佐久長聖という聞いたこともない高校の、両角速という聞いたことのない指導者は、そんな言葉を紡いでいた。聞けば、自分たちは両角を監督として新設される駅伝部の1期生に当たるのだという。
陸上部とはいえ…なぜ「短距離選手」を勧誘に?
陸上部だった松崎はもちろん都大路が全国高校駅伝を意味することは理解していた。
だが、だからこそなおさら解せなかった。なぜなら松崎は、短距離種目の長野県大会で優勝したスプリンターだったからだ。
「田舎の中学の陸上部ですから、人数合わせで駅伝を走った経験はありました。実は当時、両角先生はウチの長距離エースを勧誘しに来ていて、断られたらしいんです(笑)。それで、曲がりなりにも駅伝経験があった自分たちも顧問の先生が紹介したみたいで」
当時、佐久長聖という高校は、中高一貫校になって校名が変わったばかりの新興校だった。松崎も旧名の佐久高校時代に甲子園でベスト4まで進んだイメージから「野球が強い高校」程度の印象しかなかったという。
そんなところで、本格的にやったこともない種目で、新監督はいきなり「全国大会を目指せ」と言う。そんな漫画のような出来事は、とてもではないがにわかには信じられなかった。
ただ、その一方で、「わざわざ自分に声をかけてくれた」というスポーツに打ち込む中学生らしい高揚感もあった。両親からは「地元の進学校へ進んだ方が良いのでは?」という反対もあったが、結局、「声をかけてもらった嬉しさが強すぎた」という単純な理由で、松崎は佐久長聖への入学を決めた。