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“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
「お前、悲しくならないの?」クビ宣告→家賃2万、ギリギリ極貧J3生活「王様キャラだった自分が…」U-17W杯で世界デビューした“エリート”の挫折
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byFAR EAST PRESS/AFLO
posted2024/12/04 11:00
2013年U-17W杯に出場した仲村京雅
2018年にYS横浜に完全移籍を果たし、プロ契約を結んだ。チームの大半がアルバイトをしながらプレーする状況だったため、クラブのスクールにコーチとして週5回参加する条件付きとはいえ、プロ契約を結んでもらえたことを仲村はポジティブにとらえていた。
ただ、22歳の若者とはいえ、生活するにはギリギリの待遇だった。当時の住まいは家賃2万円の借家。そこをチームメイトとシェアした。備え付けのエアコンは壊れ、夏場は窓を開けて凌いだ。食事もファストフード店で済ませることが多く、母の料理を求めて船橋の実家に帰るときも高速道路は使える余裕はなかった。
何より過酷だったのは過密なスケジュールだった。起床は朝6時。練習を終えたあとは自主練や休息に当てるのが常だが、仲村は用具を積んだスクール用のバンに乗って、毎日場所が変わる神奈川県内の練習場に片道30分〜1時間半かけて移動。17時から19時までの1時間2コマのサッカースクールがあった。片付けを終え、再び事務所へ。帰宅の途につくのが夜中になることも少なくなかった。我々が想像するJリーガーの生活とはかけ離れた日々だった。
「一番しんどかったのは月曜日。チームはオフなのですが、僕の場合はスクールがあった。日曜日の遠征で後泊の場合は帰ってきてからすぐ向かうこともありましたね」
それでも仲村は懸命に前を向いた。しかし、心無い言葉を嫌というほど浴びた。
「お前、本当にサッカー選手なの?」
「本当にプロかよ」
「こんな生活をしていて悲しくならないの?」
いつか見返してやると必死に唇を噛んだが、思い出すと今でも涙が出る。
「正直、週3で普通のバイトしている選手の方が(プロの)自分よりお金をもらっていて、断然良い暮らしができている逆転現象が起こっていました。まかない付きのバイトをしている選手は心底、羨ましかったですね」
理想と現実のギャップ
2018年の記録を見ると、仲村の出場はわずか4試合。怪我もあったが、出場時間129分はプロ4年目としては言い訳無用の成績だった。
U-17W杯に出場した時、明るい未来を描いていた。自分の能力を疑わなかった。突きつけられる厳しい現実は、順風満帆に過ごしてきた仲村の胸をいっそう締め付けた。
それでも、「絶対にサッカー選手はやめたくなかった」。
追い込まれた仲村は心機一転、意外な場所に活躍の場所を求める。向かったのは、シンガポールだった。
〈後編に続く〉