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「お前、悲しくならないの?」クビ宣告→家賃2万、ギリギリ極貧J3生活「王様キャラだった自分が…」U-17W杯で世界デビューした“エリート”の挫折

posted2024/12/04 11:00

 
「お前、悲しくならないの?」クビ宣告→家賃2万、ギリギリ極貧J3生活「王様キャラだった自分が…」U-17W杯で世界デビューした“エリート”の挫折<Number Web> photograph by FAR EAST PRESS/AFLO

2013年U-17W杯に出場した仲村京雅

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安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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FAR EAST PRESS/AFLO

 国際試合のピッチはじつに11年ぶりだった。しかし、ユニフォームの色は違う――先月、シンガポール代表デビューを果たした仲村京雅(28歳)は、かつて世代別日本代表として活躍したテクニシャンだった。将来を期待されながらも、日の目を見ることなく、日本を旅立った理由とは? サッカーエリートの挫折と再起を追った。〈NumberWebインタビュー全2回の前編/後編に続く〉

「Kyoga Nakamura」

 シンガポール代表のメンバーに、懐かしい名前を見つけた。

 仲村京雅、28歳。2013年にUAEで行われたU-17W杯に日本代表の一員として出場していた。

 11月14日、ミャンマーとの親善試合に出場した仲村は、実に10年の時を超えて再び国を背負う緊張感を楽しんでいた。この3週間前に帰化が成立したばかり。これがシンガポール代表としてのデビュー戦だった。

「奇妙というか、数奇な人生というか。正直、高校まではこのままプロで活躍して、世界でプレーして、W杯に出る人生を思い描いていました。自分ならやれると思っていましたし、でも、そんなに甘い世界ではなかったですね」

 日の丸を背負って世界と戦った、いわばサッカーエリートは、理想と現実の間に生じる葛藤を乗り越え、まるでジェットコースターのようなキャリアを歩んできた。

U-17W杯でベスト16進出の原動力に

 千葉県船橋市で生まれ育った仲村は、地元の強豪クラブであるVIVAIO船橋SCで小中時代を過ごした。小柄だったが、優れた俊敏性と抜きん出た技術で頭角を現すと、中学時代は3年連続でナショナルトレセンに選ばれるなど、この世代を代表するプレーメーカーの一人に成長した。

 その後はジェフユナイテッド千葉U-18に進んだ。前述の通り、高2時にU-17日本代表としてW杯に出場。鈴木徳真、渡邊凌磨、三竿健斗、三好康児らと共に世界と渡り合った。

 この大会で背番号7をつけた仲村はグループリーグ第2戦のベネズエラ戦、第3戦のチュニジア戦にスタメン出場。スウェーデンと対峙した決勝トーナメント初戦でも先発のピッチに。惜しくもベスト16で敗退となったが、躍進の原動力になった。

「世界のレベルの高さに驚きました。もっと判断スピードやプレースピード、フィジカルの強さなどを上げていかないと、この先世界では通用しないなと思った。でも、この年代で世界を知れたのは大きかった」

 しかし、ここから仲村はもがき苦しむことになる。

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