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「お酒に逃げた」25歳で引退した堂安律の“元相棒”が初告白…“遠藤保仁の後継者”と呼ばれた天才パサーの後悔「なんであんな行動したんやろ」
posted2024/03/12 17:00
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Takahito Ando
兵庫県川西市、とあるサッカー場。住宅に囲まれた、どこの街にもあるような土のグラウンドは高台だからか3月上旬でも余計に肌寒く感じる。
「寒い中、お待たせしてすみません」
ジャージ姿の男性は軽自動車の後部座席から子どもたちを降ろすと、すぐにこちらを気遣った。見覚えがあった。かつて、ガンバ大阪でプレーしていた市丸瑞希だ。
一つ年下の堂安律らと共に将来を嘱望される存在としてユース時代から頭角を現し、視野の広さとセンス溢れるパス力で「遠藤保仁の後継者」と高く評価された。2017年にはU-20W杯に出場し、堂安や冨安健洋、久保建英らと日の丸を背負っている。
しかし、その後はプロの壁に阻まれ、J1リーグの通算出場試合はわずか「5」。期限付き移籍したFC岐阜、FC琉球でも芽が出ず、最後は25歳の時に関東1部リーグ・VONDS市原でひっそりとスパイクを脱いでいる。輝かしい時代があっただけに、天才司令塔の早すぎる引退はプロの厳しさを物語る絶好のケースとなってしまった。
「瑞希のパスは強烈なメッセージがある」
市丸がガンバ大阪のトップチーム昇格を果たしたのは2016年。すでに高校時代から2種登録され、ナビスコカップではベンチ入りも経験していた。だが、ルーキーイヤーのJ1デビューはお預けとなり、市丸の主戦場は同年から発足したG大阪U-23だった。ここで、飛び級で同期昇格となった堂安と息のあった連係を見せる。
「律が欲しいタイミングと、僕の出したいタイミングがずっと一致していた。最高の相棒でしたし、当時は『俺が律を一番輝かせることができる存在だ』と思っていましたね」
2人のコンビネーションは世代別日本代表でも威力を発揮し、同年のAFC U-19選手権や前述した翌年5月のU-20W杯でも光った。特に印象的だったのはU-20W杯のグループステージ突破を決めたイタリア戦。堂安の貴重な同点弾を鮮やかなパスでアシストしたのが市丸だった。
「瑞希のパスはいつも強烈なメッセージがある。あのゴールは完全に瑞希のパスによって引き出された。天才ですよ、彼は」(堂安)
しかし、市丸が堂安と一緒に公式戦に出場したのは、この大会が最後となった。