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“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
「お前、悲しくならないの?」クビ宣告→家賃2万、ギリギリ極貧J3生活「王様キャラだった自分が…」U-17W杯で世界デビューした“エリート”の挫折
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byFAR EAST PRESS/AFLO
posted2024/12/04 11:00
2013年U-17W杯に出場した仲村京雅
2015年、ジェフ千葉のトップチームに昇格。オリンピック、W杯を目指して羽ばたく存在として期待されたが、試合に一切絡めない日々が続く。
「王様キャラだった自分の自信が一気に崩れ去った1年でした。ユース時代は自分に強く言ってくる人間はほとんどいなかったのに、練習ではミスを連発して、その度にきつく言われて……初めてサッカーをするのが怖いと思ってしまった」
練習に行くのが怖い――理想とは違うプロ生活に苦しんだ仲村は、逆流性食道炎を患うなど精神状態が体にも影響を及ぼすようになった。恐怖心から逃れようと「1年目なんだから仕方がない」と自分に言い聞かせるのがやっとだった。
「当時、佐藤勇人さんや富澤清太郎さんなどの30代のベテランが走って、強度も高いプレーをする姿を見て、学ぶよりも『自分も経験を積めば将来はこうなれるだろう』と思ってしまい、『いま戦うんだ』というマインドではなくなってしまっていたことが、僕が落ちていったサッカー人生の分かれ道だったと思います」
愛着あるジェフからクビ通告
出場機会を求め、1年目の夏にJ3のY.S.C.C.横浜に期限付き移籍。念願のJデビューを含めてリーグ14試合に出場したが、千葉の寮から片道2時間をかけて通う日々は未熟だった青年を救う手立てにはならなかった。
2016年に千葉に復帰するも、またも出番はなく、同年9月にJ3のFC琉球へ期限付き移籍。3カ月間プレーしたが出場は3試合止まりだった。翌2017年は再びYS横浜でプレー。J3で22試合に出場し、念願のプロ初ゴールもマークしたが、オフに保有元のジェフから電話一本で契約満了を告げられた。1分にも満たないやり取りで奈落の底に落とされた気分だったが、本当の地獄はここからだった。