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五郎丸歩が語る早明戦の思い出「落ち葉拾いにジャージー係…身の引き締まる独特な空気感が」《ラグビー早明戦100回記念》
text by
大友信彦Nobuhiko Otomo
photograph byAFLO
posted2024/11/20 15:01
2004年、1年生で早明戦に出場した五郎丸。在学中は早明戦で無敗、大学選手権でも3年時を除いて3回優勝した
じゃあ、その目標がかなった紙面を見たときの気持ちは? と問うと、意外な答えが返ってきた。
「それが、自分が飾ったのかどうか知らないんです。試合に出る選手は当日お客さんに配られる新聞を見る機会がなくて(苦笑)」
1年から早明戦に出場した五郎丸にとって、1年時とともに強く印象に残っているのが4年時の早明戦だ。五郎丸は早明戦に先立つ早慶戦で左手の甲を骨折。すぐにボルトを入れてつなぐ手術をして、早明戦には術後わずか5日で出場した。当然だが、骨はまだくっついていない、切開した箇所もふさがっていない。
「あのシーズンは、BKで4年生は僕しかいなかったんです。SOの山中(亮平=現コベルコ神戸スティーラーズ)やCTBの宮澤(正利=のちヤマハ発動機ジュビロ)とか、1年生も多く出ていたし、FWは強かったけど、BKは僕が一番後ろでまとめなきゃいけない、という責任感もありました。
手術自体はおかげさまでうまくいったし、ドクターもメディカルスタッフもすごく頑張ってくれて、回復は順調でした。縫合したところの腫れがひどかったけど、試合が始まってしまえば痛みは感じませんでしたね」
骨折したことは極秘にしていたが、五郎丸の左手には大きな装具がつけられていた。五郎丸はその左手で相手にハンドオフを見舞い、ハイパントを捕球しようと跳び上がったところで空中タックルを受け、1回転して頭からグラウンドに落下しても平然と立ち上がった。頑健そのものでしたね――そういうと五郎丸は笑った。
「まあ、2年の時にはアゴも骨折しましたからね。試合が終わったとき、僕が何よりも思ったのは、試合に出られる状態に戻してくれたスタッフのみなさんへの感謝、そして自分の役目を果たせたことへの安堵感でした」
早明戦から世界へ
今年も早明戦がやってくる。100回目の早明戦だ。
「振り返ると、ワールドカップとか、いろいろな舞台に立たせてもらったけれど、最初に立った大舞台は早慶戦、早明戦だったと思います。今の選手にも、この舞台から世界に向けて羽ばたいていってほしいと思う。中には大学を卒業したら競技を離れる選手もいるかもしれないけれど、観客として早明戦を見守っていってほしい。毎年、国立で試合をできるのは早明の学生だけだし、それは100年以上、先輩方がつないできた伝統があってのもの。プレッシャーもあるだろうけど、それを自分の力にして欲しいですね」
早稲田には五郎丸の後を追うスター候補も現れている。背番号15を受け継ぐFBの矢崎由高は大学2年ですでに日本代表のFBとしてイングランドやニュージーランドとのテストマッチも経験。そして司令塔のSOには佐賀工の後輩にあたる1年生、服部亮太が定着、ロングキックで旋風を巻き起こしている。
「前にエディー(・ジョーンズ日本代表HC)に『良い選手がいるんですよ』と推薦したけど、そのときはポカーンとしていた。でも今はもう試合の映像を見てチェックしてるでしょうね。久々に現れたスター性のある選手だと思う。早く世界の舞台にチャレンジして欲しいし、そのためにもこの早明戦で活躍して欲しいですね」