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「遠慮しちゃったら、もうチャンスなんてない」ケガで引退、団体移籍→ベルトを巻いた女子レスラーの覚悟…翔月なつみは「全ベルトを獲りたい」
posted2024/11/13 17:18
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph by
Norihiro Hashimoto
11年ぶりに立った両国国技館のリングで、翔月なつみは久しぶりにプロレスのチャンピオンベルトを巻いた。前回、戴冠したのは11年前の両国国技館。出場した2度の両国大会で、どちらもタイトルマッチに勝ったわけだ。
翔月が所属しているのは今年5月に旗揚げした女子プロレスの新団体・マリーゴールド。スターダムを設立したロッシー小川氏が代表を務め、スターダム離脱組が中心になって旗揚げ会見を迎えた。
その会見で参戦アピールをしたのが翔月、青野未来らアクトレスガールズの6人だった。翔月はもともとスターダムでデビューしている。長い年月と紆余曲折を経て、翔月はリングネームの名付け親であるロッシー小川氏と再会したのだった。
宝城カイリと獲得したタッグタイトル
演劇をしているところをスカウトされ、デビューしたのは2012年。翌年にタッグタイトルを獲得した。パートナーは同期で寮も相部屋だった宝城カイリ。現在WWEで活躍するカイリ・セインだ。新鋭として活躍が期待された翔月だが、戴冠直後に負傷欠場。防衛戦を行わないままスターダムを退団し、後に引退を発表した。
それからしばらくは地元の大阪で過ごしていたそうだ。事務の仕事をしていたが、演劇やプロレスに比べると刺激がなかった。友人たちの結婚や出産も「まったく羨ましいと思えなかった」。
東京で演劇活動を再開すると、旧知のアクトレスガールズ代表に誘われた。8年のブランクで肉体的な不安はあったが、リングに戻ることにした。スターダムでみっちり教わった基礎を新人たちに伝えるという役目もあった。
だが、当時のアクトレスガールズは従来のプロレス界と一線を引いていた。かつては安納サオリ、なつぽいといった人気選手を輩出したのだが、他団体移籍が続いてもいた。
2022年からはプロレスとは名乗らず、新しいエンタメ公演「アクトレスリング」を標榜。試合フォーマットも使う技もプロレスにしか見えないがプロレスを名乗らない、プロレスマスコミも取材しない不思議な状態が続いた。
アクトレスリングは従来のプロレスとどう違い、どこが面白いのか。運営が提示できない中で翔月も疑問を募らせる。
「なぜ自分たちはプロレスラーと名乗れないんだろう、プロレス専門メディアに載れないんだろうって。プロレスを模したことをやっているのに、団体からはプロレスへのリスペクトも感じられなかった」
新天地で「デビュー当時より燃えてました」
一方で彼女自身はシングルベルトを巻き、コンディションも戻ってきた。アクトレスガールズをやめて、フリーのプロレスラーとして活動しようと決心する。そんな時に聞いたのが、ロッシー小川氏の新団体設立だった。アクトレスガールズでは芸名の「澄川菜摘」を使っていたが、マリーゴールドでは翔月なつみに戻した。
「新団体なんですけど、親元に帰ってきたような気持ちでした」