ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
「ダンプを丸坊主にできる。でも…」スーパーアイドルだった長与千種はなぜ“髪切りデスマッチ”を行い、負けたのか? 本人が明かした“悲劇の真実”
posted2024/11/14 17:00
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
東京スポーツ新聞社
今秋、Netflixで世界同時配信され大きな話題となったドラマ『極悪女王』。この作品は、’80年代半ばの女子プロレスブームの最中、最凶の悪役レスラーとして君臨したダンプ松本の半生をモチーフにし、当時の女子プロレスラーたちの青春を描いた群像劇だが、ある意味で、主役であるゆりやんレトリィバァ演じるダンプ松本以上の存在感を見せていたのが、唐田えりかが演じた長与千種だった。
それはある意味、必然でもある。実際の80年代の女子プロレスブームの主役は、長与千種とライオネス飛鳥のクラッシュ・ギャルズであり、ダンプ松本はその敵役。とくに長与は、本格的なキックやスープレックスなど、当時女子プロレス界ではタブー視されていた男子プロレスの技術、要素を積極的に導入。その斬新な闘いで、女子中高生のファンをプロレスに夢中にさせると同時に、男子のプロレスファンを含めた多くの人たちの女子プロへの見方を変えていった革命児だった。
70年代末にもジャッキー佐藤とマキ上田のビューティ・ペアがブームを巻き起こしたが、その人気は歌手としてのものが中心。それに対しクラッシュは、歌手としてのアイドル人気もあったが、何よりプロレスそのもので人々を魅了した。そういった意味でも日本の女子プロレスは、クラッシュ以前とクラッシュ以後で分けられる。もっと言えば、長与千種の台頭以前と以後で分けられると言っても過言ではない。あの時代、長与千種の存在はそれだけ大きなものがあったのだ。
「奴隷のような生活」と回想する少女時代
女子プロレスの申し子であった長与千種だが、ダンプ松本がそうであったように、長与もまた“エリート”ではなかった。新人時代は身体が細く試合でも勝てない劣等生であり、そもそもプロレスラーになる前の子どもの頃から踏まれても歯を食いしばり生き抜いてきた雑草だった。
小学5年の時に連帯保証人となった父が莫大な借金を背負い一家離散も経験。両親が職を求めて故郷の長崎県を離れて関西に働きに出たため、幼い千種は親戚の家を転々とする日々を送った。千種は「親戚の人たちは“一番近い他人”のような気がしました。親から毎月、自分の生活費が送られてくるから、一応家に置いてもらえているだけの奴隷のような生活で。あの頃の記憶は封印しようとしても、どうしても忘れられない」と当時を振り返っている。
そんな辛い日々の唯一の救いが、テレビで観る女子プロレス中継だった。「早くここから脱出したい」と思っていた長与は、中学を卒業したらプロレスラーになろうと考えるようになる。
「ビューティ・ペアさんの人気が社会現象になってる頃、雑誌で新人募集の記事を見かけたんですよ。そこには『月給10万円』と書いてあって、当時の私からすると100万円くらいの価値に感じられた。それまではお医者さんになるのが夢だったんですけど、ウチにはお金がないので、自分で稼ぐことのできるプロレスは魅力でした」