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猛牛のささやきBACK NUMBER
オリックス・中嶋聡監督「電撃辞任」“その後”…選手たちは衝撃をどう受け止めたのか?「僕が引っ張っていきます」口にした中堅選手の思い
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byHideki Sugiyama
posted2024/11/12 11:02
チームを三連覇に導いた中嶋監督。時に厳しく、時に温かい眼差しで選手たちを見守ってきた
以前、「中嶋監督じゃなかったら、僕はたぶんもうクビになっていた」と語っていた宗は、改めて今「感謝しかない」と言う。
「サードで出られるようになったのも完全に中嶋さんのおかげなので。二軍監督時代に言われた、『サードやってみないか? 二軍だから別に失敗してもいいじゃん。やってみろよ』という言葉がすごく印象に残っています。あれが僕の人生の転機だったので」
宗は2021年に初めてゴールデン・グラブを受賞し(その後3年連続受賞)、杉本は本塁打王に輝いた。
「我慢」から「競争」へ
そこから2年目、3年目と経過するにつれ、固定するより競争を優先させていった。その理由を中嶋監督は、リーグ3連覇した昨年、こう語っていた。
「(1年目は)2年連続の最下位からスタートしたチームだったので、何を変えていくかと考えた時に、我慢してでも中心になる選手を使うというのは決めていましたから、その点では我慢しました。でもだんだん競争相手が出てきた時にはもう、我慢というより、そこは競争なので」
誰であれ結果が出なければ二軍に送り、調子のいい選手を使った。ただ、選手を見離さない監督だった。一度の失敗で起用をやめたり、二軍に落とすということはほとんどなく、再度チャンスを与える。ミスをした選手には翌日さりげなく声をかけた。
太田椋は言う。
「打てなかった次の日とか、ミスした次の日によく声をかけてくれました。堅い話じゃなく、『何してんの!』とか『なんやねんお前』とか(笑)。いじられるぐらいの感じでフランクに言ってくれるので、気持ちが楽になりました」
大切にしたコミュニケーション
選手思いで、粋なことをするリーダーだ。今年9月24日のホーム最終戦後にグラウンドで行われたセレモニーでは、自身の短い挨拶のあと、「引退する選手もいます。このあと安達(了一)とT(-岡田)は(引退セレモニーで)しゃべりますけど、僕は比嘉(幹貴)、小田(裕也)、ひとこと聞きたいです」と、引退セレモニーが予定されていなかった比嘉と小田にサプライズで挨拶の場を用意した。非常に中嶋監督らしいシーンだった。
選手との距離が近く、なおかつ頼れる指揮官だった。練習中はいつもグラウンドを歩き回りながらこまめに選手と言葉を交わし、一緒に大笑いしている姿も珍しくなかった。
話していた選手に聞くと、「内容は覚えていないぐらい、本当に他愛のない話なんです」と答えることも多かった。
もちろん必要なアドバイスも送ったが、何より監督から声をかけられるだけで、選手は見てくれているという嬉しさや安心感があったのだろう。実際にそう話していた選手もいた。
中川圭太の悔い「いい時は放置っすから」
だが秋季練習中、中川圭太にその話を振ると、「安心感?」と首を捻った。
「僕は監督と喋っている時、特に野球の話をしている時は、僕がダメな時やと思ってたんですよ。というのも、あの人は本来『自分で考えてやれ』というタイプじゃないですか。だから、『今こうなってるから。よかった時はこうしてたよ』みたいに言われたりすると、あ、(自分が)あかん時なんやなって。だから何も言われずに、スタメンで出してもらっている時のほうが、僕は安心感がありました。
他の選手は、話しかけてもらって嬉しいとかあったかもしれないですけど。僕は話しかけられない時のほうが、任せてもらってるな、しっかりとやらせてもらってるなと。22年の時からそう思っていました。
もちろん教えてもらえるのはありがたいですけど、僕的に、いろいろ言われてるようじゃダメだなと思うので。今年の2回目の怪我(左大腿直筋の筋損傷)のあと、いろいろと教えてもらったんですけど、その時に改めて思いました。(調子が)いい時は、放置っすから」