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“先輩と妻”に救われたFW「やっていける気せんわ…」「日本、帰んなよ!」ドイツで町野修斗が愛されるまで「自分の知っているドイツ語を」 

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ミムラユウスケ

ミムラユウスケYusuke Mimura

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photograph byJurgen Fromme-firo sportphoto/Getty Images

posted2024/11/08 11:05

“先輩と妻”に救われたFW「やっていける気せんわ…」「日本、帰んなよ!」ドイツで町野修斗が愛されるまで「自分の知っているドイツ語を」<Number Web> photograph by Jurgen Fromme-firo sportphoto/Getty Images

ドイツ移籍当初は苦しんでいた町野修斗の海外生活、支えたのは先輩と妻だった

 キールがあるのはドイツを構成する16州のうち最北端に位置し、デンマークとの国境のあるシュレスヴィヒ・ホルシュタイン州だ。ドイツのサッカーどころといえば、ドルトムントやシャルケ、レバークーゼン、ボーフム、メンヘングラッドバッハ(ボルシアMGの本拠地)などがあるドイツ西部のノートライン・ヴェストファーレン州である。その州都であるデュッセルドルフには、日本食レストランや日本の商品を扱うお店、日本人のやっている美容院が密集しているエリアがある。

 そのためドイツ西部でプレーする選手はもちろん、同州に隣接するオランダやベルギーでプレーする選手もデュッセルドルフに集うことが多い。そして、海外で戦う日本人選手同士で顔を合わせ、ときには愚痴を言い合いながら、英気を養っていくことができる。

林大地に弱音を吐くと「日本、帰んなよ!」

 しかし、ドイツ北端の州にあるキールにいる町野はそうもいかなかった。街には大きな空港もなく、デュッセルドルフまではドイツ版新幹線ICEでも最低5時間はかかるし、首都ベルリンまでも4時間弱だ。過去にブンデスリーガでプレーして、日本代表の常連となった選手でそんな環境を経験したのは長谷部誠くらいだろう。 

 だから、履正社高校の2年先輩である林大地がニュルンベルクに所属していた頃、リーグ戦で顔を合わせたときは試合後に「ドイツでやっていけるかどうか不安ですわ」と弱音を吐かずにはいられなかった。

 先輩の返事は早かった。

「みんな、そんなもんや! 絶対、日本に帰んなよ!」

 先輩は同情してくれるのではなく、愚痴を聞いた上で励ましてくれた。

「そもそも、自分のなかでためこんでいたものを伝えられるような選手すらいなかったので。林選手に伝えられたことで、(スッキリした)というのもありますし、林選手の『みんなもそうだったんだから』という言葉を聞いて、頑張らないといけないと思えましたし。あとは……」

妻が唯一、日本語で話ができる存在でしたし

 もう一人、町野を救ってくれた存在として挙げなくてはいけないのは、最愛の人だった。

 キールが過酷な要素は、デュッセルドルフが遠いこと以外にもある。ヨーロッパ全土を見回しても北部に位置するため、夏は白夜に近いほど陽が長い。ところが、冬になるとそれが反転する。10月最終週をもってサマータイムが終わると、1日のうちの夜が占める割合が一気に長くなってしまう。起きている時間のうち半分くらいしか陽の光を感じられない時季もある。そういう状況も、前向きになれない気分に拍車をかけた。妻がいなかったら、どうなっていただろう。

 町野はこう明かす。

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