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“先輩と妻”に救われたFW「やっていける気せんわ…」「日本、帰んなよ!」ドイツで町野修斗が愛されるまで「自分の知っているドイツ語を」
posted2024/11/08 11:05
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph by
Jurgen Fromme-firo sportphoto/Getty Images
ドイツ語、英語の意思疎通がままならない中で
“あの動画”はみんなの知っていた町野修斗のようであって、そうではなかったのかもしれない。
湘南ベルマーレ勢のカタールW杯出場を記念したモニュメントが本拠地にできた際、町野は愛する古巣にメッセージ動画を寄せた。ブンデスリーガ1部昇格を決めたタイミングということもあってか、勝利の美酒に酔いしれるサポーターのような喜びようだったが……。
あのメッセージを送ったのは、人知れず苦労をへて、一回り大きくなった後の町野だった。
先輩の言葉がなかったら、最愛の人がいなかったら、今の活躍はなかったかもしれない。
初めての海外移籍を果たした2023-24シーズン。移籍直前のJリーグでは19試合で9ゴール4アシストを記録した。その状況でオファーを受け、当時ブンデス2部のホルシュタイン・キールに戦いの場を移した。開幕から4試合で2ゴール2アシストをマークするなど、順調なスタートを切った。
ところが、そこからは順風満帆とは程遠いものだった。
第6節からは良いプレーができず、2試合連続でハーフタイムに交代で下げられてしまった。その後は、2試合続けてベンチスタート。そして第11節のニュルンベルク戦まで2試合続けて、出番なしに終わった。
この頃には、すっかり自信を失った。ドイツ語はもちろん、英語でのコミュニケーションもままならない時期だった。
「海外ってこんな感じなんか。やっていける気がせんわ……」
そう考えるようになっていた。
自分の方でクローズすると、厳しかったです
町野は、自身がJ3も経験してきた苦労人だと自認しているし、 過去には試合に絡めずに苦しんだ時期もある。ではこの時、悩みを深めたのはどういうことだったのか。
それは、海外ならではの環境だった。
言葉も通じない海外では、励ましてくれる先輩やアシスタントコーチがいるわけでもない。ロッカールームで着替えて、グラウンドに出て、練習が終わって帰るまで、練習中のやり取りを除き、一言も発せずに帰宅することもあった。
「自分から話しかければ、みんなも色々と話してくれるんですけど、自分の方でクローズしてしまうと、どうしても厳しかったです」
追い打ちをかけたのが、町野の置かれた環境だ。ホームタウンであるキールという街の位置である。