オリンピックPRESSBACK NUMBER

「自分はもう終わりだと思いました」“永瀬すぎる”振る舞いの裏に知られざる苦難…柔道81キロ級金・永瀬貴規(31歳)が陥った「東京後のスランプ」 

text by

小松成美

小松成美Narumi Komatsu

PROFILE

photograph byNanae Suzuki

posted2024/10/20 11:02

「自分はもう終わりだと思いました」“永瀬すぎる”振る舞いの裏に知られざる苦難…柔道81キロ級金・永瀬貴規(31歳)が陥った「東京後のスランプ」<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

パリ五輪柔道81キロ級で五輪連覇を達成した永瀬貴規(31歳)。実は東京五輪後には深刻なスランプに陥っていたのだという

 帰国後の検査で、右膝の内側側副靭帯と前十字靱帯損傷と診断され、医師からは、早急に手術が必要だと言い渡された。

「自分の思い通りに柔道をして金メダルを目指すのなら、手術がベストな選択だと言われました。でも最初は怪我を受け入れたくなかった。もしかして別の病院に行ったら違う診断をされて手術が回避できるんじゃないかという思いがあり、セカンドオピニオンを求めて、再度検査を受けました。けれど、やはり同じ結果だったので、手術をする覚悟を決めたのです」

 その覚悟の陰には、恩師である母校の長崎日大高校柔道部監督・松本太一の後押しがあった。怪我を受け入れられず、手術を迷っている永瀬に、松本はこう告げた。

「東京オリンピックは2020年、まだ3年ある。手術をして怪我を治せば、代表選考に間に合う。今で良かったじゃないか」

 その言葉を聞いて永瀬は再び東京オリンピックへの道が見えたという。

「松本先生の言葉を聞いて、そうだ、治療して再び代表を目指す時間がある、怪我がこの時期でラッキーだった、と思えたんですよ」

ケガからの実戦復帰に要した「1年のブランク」

 手術とリハビリのため、実戦への復帰には1年を要した。それまで大きな怪我をしたことがない永瀬は、1年もの間、柔道から離れたことはなかった。

「1年は、私にとっては長い時間でした。試合に出られない間には、若手の台頭もあり、結果を残している選手を見ると苦しかった。リハビリをしながら、怪我と同様に、焦りや不安とも戦っていたのです」

 復帰直後は、さまざまな課題が山積していた。一から体を作り直すことはもちろん、怪我をした技に対する不安や恐怖の克服、第一線を離れている間に台頭してきた対戦相手への対応やその戦術など、オリンピックまで3年間という限りある時間の中で取り組むために、永瀬は文字通り柔道漬けの日々を過ごすことになる。

 永瀬が柔道を始めたのは6歳、小学1年生の頃だった。稽古も好きだったが、他の選手の試合を見るのも大好きだった。自分より高学年の選手の試合では飽き足らず、近所の中学生や高校生の試合を見に行っていた。そして、先輩たちが繰り出す技に見入っていた。

「あの技かっこいいなと思ったら、真似したくなるんですよ。それで、先生や先輩に聞いて、稽古して、自分のものにするのが楽しかった。もちろん覚えた技が試合で決まれば、うれしかった。怪我を克服して実践に戻るまでの間は、あの頃の自分に戻っていました。強い選手の試合を見て学びましたし、弱い自分を進化させることが楽しいと感じられるようになったんです」

【次ページ】 「このままでは、自分はもう終わりだと」思った東京後

BACK 1 2 3 4 NEXT
#永瀬貴規
#筑波大学
#永山竜樹
#パリ五輪
#東京五輪
#オリンピック・パラリンピック

格闘技の前後の記事

ページトップ