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「自分はもう終わりだと思いました」“永瀬すぎる”振る舞いの裏に知られざる苦難…柔道81キロ級金・永瀬貴規(31歳)が陥った「東京後のスランプ」 

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小松成美

小松成美Narumi Komatsu

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photograph byNanae Suzuki

posted2024/10/20 11:02

「自分はもう終わりだと思いました」“永瀬すぎる”振る舞いの裏に知られざる苦難…柔道81キロ級金・永瀬貴規(31歳)が陥った「東京後のスランプ」<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

パリ五輪柔道81キロ級で五輪連覇を達成した永瀬貴規(31歳)。実は東京五輪後には深刻なスランプに陥っていたのだという

 怪我から復帰後、しばらくは思い通りの結果を残せない時期もあったが、2019年に入ると努力が実を結び、数々の国際大会で勝利を重ねていく。そして2020年の東京オリンピック出場を決めた。ところが新型コロナウイルスの影響で、東京オリンピックの開催が1年延期となった。

「試合当日をベストコンディションで迎えるために、さまざまな調整をしている中では、厳しい決定でした。パンデミックの中、コンタクトスポーツである柔道は、海外の選手と対戦する国際大会が開催されないだけでなく、道場などでの集団練習の自粛を余儀なくされたんです」

 そんな環境下で、オリンピック開催まで体力、実力、メンタルを1年間キープしなければならない。先の見えない中、永瀬は、この現実をポジティブに捉えた。

「リオオリンピックから東京オリンピックまでの4年間のうち、怪我の治療とリハビリに1年間を費やしたわけですが、図らずもその1年を取り戻すことができる、自分は運に恵まれた、と考えるようにしました」

 そして迎えた2021年の東京オリンピック。3回戦でイタリアのクリスティアンパルラティを、準々決勝でドイツのドミニク・レッセルを、準決勝では世界チャンピオンとなったベルギーのマティアス・カッセを破った。

 決勝では初対戦となるモンゴルのサイード・モラエイと戦い、延長戦にもつれ込みながらも、足車による技ありで勝利。

「日本代表であれば金メダルが使命。それが自分の役目でもある」という思いを抱いていた永瀬は、ついに、オリンピックという舞台で表彰台の中央に立ったのだ。

「このままでは、自分はもう終わりだと」思った東京後

 ところが、永瀬を飲み込む闇が、東京オリンピックの後に待っていた。

 東京で金メダルを獲得した永瀬はどこに行ったのかと感じるほどスランプは深刻で、本来の柔道が消えていた。何が永瀬を変えてしまったのか。

「当時は勝ちたいというよりも、負けられない、負けちゃいけないという意識に縛られていました。そのために自分の本来の柔道を見失っていったんです」

 永瀬本来の柔道とは、懐を深く、相手の胴着の襟と袖口をしっかりと掴み、前へ出て攻め、得意な投げ技を仕掛けていくことである。

「負けてはいけない、と思うあまり、リスクを負ってでも攻めるその一瞬に躊躇するようになっていた。時には、判定や反則を狙う気持ちもありました。金メダリストになったことで保守的になり、自らの柔道が狭められてしまった。このままでは、自分はもう終わりだと思いました」

【次ページ】 目指すのは「自分の柔道を極め」ること

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