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大坂なおみ“巨大リボン”だけじゃない? 女子選手ド派手テニス・ファッションの変遷をたどる…韓国では「BTSも大好き」で空前のテニスブーム
text by
山口奈緒美Naomi Yamaguchi
photograph byGetty Images
posted2024/10/18 17:01
全米オープンで大坂なおみが着用したリボンウェアの「ゴスロリ」バージョン。シューズのかかとにもリボンが…!
そもそも、なぜテニスではよりスポーティーなショートパンツではなくミニスカートが主流なのか。それは、始まりが“ドレス”だったことと大いに関係があるだろう。19世紀の終わり、イギリスの中流階級の間で親しまれたローンテニスは、ホームパーティーやダンスパーティーのように、社交の場、若い男女の出会いの場、親交を深めるツールとして人気を博した。テニスパーティーだから、男女ともに盛装だったのだ。
男性はまだいい。しかし当時の女性の盛装で、まともにテニスができたとは思えない。コルセットでウェストを極端に締め上げ、ヒップラインを強調するためにバッスルと呼ばれる硬い筒状のものを腰に着け、その上に何枚ものチュールを重ねて地面に擦るほどの丈のドレスの量感をさらに出していた。それが、当時最先端のおしゃれだった。
スザンヌ・ランランの革命
ウィンブルドンで女子の部が開かれるのは、男子から7年遅れた1884年だが、盛装であることは変わらず、スカート丈がやや短くなった程度だったといわれる。しかし、ウィンブルドン選手権の誕生でプレーヤーの競技志向は高まり、それとともにコートに立つ女性たちはコルセットを外し、バッスルを外し、不要なチュールを脱ぎ捨てていった。
中でも一大革命を起こしたのはフランスのスザンヌ・ランランだ。テニスに詳しい人なら、ランランといえばノースリーブの膝丈のワンピースにヘッドバンドという装いを思い出すかもしれない。しかし1919年にウィンブルドンに初めて登場したとき、19歳だったランランはそこまで“過激”ではなく、半袖とはいえ袖はあったし、ふんわりとしたプリーツスカートの丈はふくらはぎが隠れる程度まであり、頭には大きな帽子を被っていた。それでも下品と非難され、ウィンブルドン史に刻まれる最初の「ファッション・スキャンダル」と呼ばれている。