「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズBACK NUMBER

まさかの開幕スタメン剥奪「あれは一生忘れない」ヤクルト名捕手の怒り…広岡達朗92歳に直撃「なぜあの日、大矢明彦を外したのか?」意外な答え 

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長谷川晶一

長谷川晶一Shoichi Hasegawa

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photograph byToshiya Kondo

posted2024/10/07 11:01

まさかの開幕スタメン剥奪「あれは一生忘れない」ヤクルト名捕手の怒り…広岡達朗92歳に直撃「なぜあの日、大矢明彦を外したのか?」意外な答え<Number Web> photograph by Toshiya Kondo

1978年の開幕戦で、扇の要である大矢明彦をスタメン起用しなかった広岡達朗(写真は2009年)。大矢の心に傷を残した采配の真意を訊いた

「広岡流指導術」の効用と限界

 これに対して、広岡は毅然たる態度で「そんな必要はない」と考えている。たとえ高圧的で、一方的な上意下達であろうとも、監督の指示が絶対であり、選手に対していちいちお伺いを立てる必要はない。それこそが「広岡流指導術」であり、選手との間に亀裂を生じさせる一因となった。この点では、大矢の方が「大人」だった。

「でも、それが広岡監督のやり方で、あくまでも“監督と選手間の一線を画す”という狙いがあったのでしょう。それが監督のスタイルならば、選手はそれに従うだけです。だから、監督の言葉に影響を受けることなく、自分のできることを選択していく。当時、僕が心がけていたのは、そういうことでした」

 チームを初の日本一に導いた翌79年。広岡はシーズン途中での辞任を余儀なくされ、スワローズも最下位となった。その後、再び監督となった西武ライオンズでも、優勝後に退任する憂き目を見た。「管理野球」と称された徹底的な指導により、厳しく訓練された精鋭たちによる組織を短期間で作り上げ、一定の成果を収める。しかし、厳格さによって統べられた組織は、すぐに息苦しさとともに選手たちの反発を招き、あっという間に瓦解のときを迎えてしまう。それは、「広岡流指導術」の諸刃の剣だった――。

<続く>

#38に続く
広岡達朗92歳に問う「本当は巨人へのコンプレックスがあったのでは?」ついに語った“ヤクルト監督時代の本心”「あなたの言う通りかもしれない」

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