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久保凛の偉業で思い出す…同じ高校にいた9年前の“ある天才陸上少女”の記憶「インターハイは“5冠”狙い」「100mから800mまで優勝候補」
text by
荘司結有Yu Shoji
photograph byJIJI PRESS
posted2024/10/13 11:01
2015年のインターハイでは前人未到の短中距離“5冠”を狙った石塚晴子。その圧倒的な強さはいまの久保凛に勝るとも劣らない衝撃だった
「その年のインターハイ女子400mは、群馬の大木彩夏さん(新島学園高→群馬大)が優勝していました。柿内先生は『石塚は大木よりも速く走れる。必ず3年後のインターハイで大会記録で優勝できる』と言ってくださったんです。そこまで評価してくれた先生は他にいなくて、自分のことを信じて頑張ってみようと感じたんです」
当時、東大阪大には敬愛の黄金期をけん引した新宮美歩(福島大院→東邦銀行)、三木汐莉らが在籍していた。新宮は、高校3年時にインターハイ、国体、日本ジュニアで400m3冠を達成。三木はインターハイ400mHで女子初の2連覇を果たしている。こうしたOGの存在感も、進学を強く後押しした。
中でも、石塚の心をつかんだのは、2009年の奈良インターハイ女子4×400mリレー。新宮が2走、三木は4走を担い、3分37秒86という驚異的な日本高校新記録(当時)を生んだレースだ。
「高校に進学したら400mに本格的に取り組もうと思っていたんです。そんなときに、あのレースの動画を見て『私もこのメンバーの一人になって走りたいな』という気持ちになりました」
そして、敬愛に進学した彼女の才能は花開く。
高校2年の山梨インターハイでは、400m、800m、400mH、4×400mリレーの4種目に出場。個人種目ではすべて表彰台に乗り、マイルリレーでは2走を務めて優勝に貢献し、自身初の全国タイトルを手にした。敬愛はこの年、女子総合優勝に輝いた。
練習は「4時間休みなし」「すべてがタイムトライアル」
石塚のロングスプリンターとしての才覚を引き出した、敬愛のトレーニングとはどのようなものだったのだろうか。本人に問うと、シンプルな答えが返ってきた。
「練習時間がけっこう長くて。基本的に休憩がなく、ずっと動き続けているんです」
石塚いわく、当時の平日の練習時間は4時間。練習時間が長くなることが良しとされない風潮もあるが、「振り返れば、基礎の有機的な能力を作るという面で意味のあるものだった」と言う。
「授業が終わって16時に練習が始まると、座って休む時間がほとんどないんです。次の練習の準備をしたり、サーキットの間もジョグしたり。4時間動き続ける練習が、基礎的な有酸素能力を上げるのにつながっていたのではないかと思います」
その上で、柿内氏が考えた筋力や跳躍力、体幹を鍛えるサーキットトレーニングがバランスよく入っていたという。