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「最後まで折り合いはつかなかったですね」インターハイ3冠も大学を1年で退学…陸上“歴代最強”高校女王が振り返る「過去の栄光との葛藤」
posted2024/10/13 11:02
text by
荘司結有Yu Shoji
photograph by
(L)Shigeki Yamamoto、(R)JIJI PRESS
2016年春、東大阪大に進学した石塚は、5月のゴールデングランプリ400mHで、ジュニア選手初の56秒台(56秒75)をマーク。自身のジュニア日本記録を塗り替え、日本歴代7位にランクインした。6月のアジアジュニア選手権では、400mで銅メダル、400mHで金メダルを獲得。
「歴代最強」とも言われた高校女王は、順調にステップアップを遂げているように見えた。しかし、本人はそう思っていなかったようだ。
「正直、当時は高校の貯金で走れているような状態で、大学に入ってからの結果だとはあまり感じていないんです。実際、私の自己記録のほとんどが大学1年の5、6月で止まっていますから」
高校から大学に上がった石塚が戸惑ったのは、試合数の多さだった。従来の記録会や学校対抗戦に加えて、グランプリシリーズ、日本選手権、海外遠征といったレベルの高いシニアのレースが増えていった。
「それも結果が求められる試合ばかり。高校生の頃はみんなで一緒に試合に出ることがほとんどだったのに、他の部員とはスケジュールや目標も違うので、何となくすれ違いを感じていて。孤独感を覚えることも増えていきました」
高校時代と「同じ感情にはなれなかった」
当時はちょうどリオ五輪シーズン。リレー種目の出場権は、前年の世界リレー入賞国と世界ランク上位8カ国に与えられる。国内では出場権獲得を目指して、複数の特別レースが設定され、前年の世界選手権代表の石塚も招集されていた。
しかし、周囲の期待とは裏腹に、五輪出場という目標に一途になれない自分もいたという。
「もちろん目標として口にはしていたけれど、インターハイ優勝を目指しているときと同じ感情にはなれなかった。自分の意思とは違う努力が求められることに、しんどさが募っていきました」
五輪代表候補としての特別レースに、世界U20選手権、国体、日本ジュニア……年間80本以上のハイレベルなレースを重ねる中、徐々に身体と心が削られていくのを感じていた。加えて、対校戦ではエースとして得点を稼がなければならない。
周囲に求められる立場の重さ、チームメイトとのモチベーションの乖離。トップ選手ゆえの孤独を深めていった。