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岸田文雄“あの大暴投”の真相…「本当に野球部?」疑惑を監督に直撃すると「もともと送球に難あった」「政治家一家の息子と知ってノックを弱めた」
text by
齋藤裕Yu Saito
photograph byGetty Images
posted2024/09/08 06:00
2023年WBCの始球式で大暴投を見せ、開成高校野球部という経歴に疑惑の目が向けられた岸田総理。野球部の関係者を直撃すると……
「外野と違って送球先も近いし、セカンドだったらエラーしても何しても、1個しか進まないだろうと。サードでエラーしたら二塁打になっちゃうっていう考えがあって、セカンドに起用しました。バッティングは下位打線だからなんとでもなるけど、守備は岸田くんのところにボールが飛ばないか、試合はヒヤヒヤしながらベンチで見ていました」
「ケガさせちゃいけない」“ふんわりノック”の気遣いも
当時、3年生は受験などに専念するため、野球部の実質的な最終学年は2年生。岸田氏は著書『岸田ビジョン』(講談社)で「最後の夏」についてこう明かしている。
〈予選が始まり、一回戦で大差で敗れました。試合内容はエラーをしたことぐらいしか記憶にありませんが、敗れた瞬間、『終わったな』と感じ、頭が真っ白になったことだけはいまでも憶えています。〉
それまでの受験競争でも成功続きだったエリートが経験した真夏の大失策。じつはそのエラーにつながる監督の重大な証言がある。
「ノックする時も、ケガをさせてはいけないから、絶対に捕れないようなところに強い当たりを打っていました」
いったい、どういうことか?
「私の知り合いが原宿のほうに下宿していて、お見舞いに行ったら、そこの表札にアパートの名前に加えて『岸田』と書いてあったんです。そこが実家だったようで、岸田くんの同級生にそんな話をしたら、『監督、岸田は宮澤(喜一)さんの甥っ子ですよ』と(正確には岸田氏の叔母の義兄が宮澤喜一氏)。それで初めて政治家の家系に生まれた子ということを知りました。この子は、いずれ先はおじさんの後を継ぐ、そういう世界に行かなきゃいけない子なんだな、と。だからケガさせちゃいけないなと思ったんです」
監督の先見の明は的中した。父は通産省官僚の岸田文武(後に衆議院議員)。その後、東大受験では躓くものの、監督の親心のおかげで大きなケガを負うことなく政治家一家の跡取りとして広島1区の選挙区を世襲。約半世紀を経て日本国を背負う総理になった。監督は当時の練習をこう述懐する。