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「試合前に100mダッシュ100本、スクワット1000回!」智弁和歌山・高嶋仁監督が課した“猛練習”の内幕…「やりすぎや、明日、体が動かへんわ」
posted2024/08/21 11:15
text by
清水岳志Takeshi Shimizu
photograph by
Katsuro Okazawa
発売中のNumber1102号掲載の[猛練習の内幕]智辯和歌山・高嶋仁「少数を精鋭に鍛える」より内容を一部抜粋してお届けします。
1996年の夏の甲子園は松山商と熊本工の決勝戦だった。すでに初戦で敗れ、新チームをスタートさせていた智辯和歌山の1、2年生は三塁側ベンチのすぐ上のスタンドからこの伝説のゲームを観戦した。
高嶋仁監督が20人に語りかける。
「来年はここで決勝戦をやるから、ちゃんと雰囲気を味わっておけよ」
1年生の鵜瀬亮一(現・新潟医療福祉大監督)は松山商の右翼手の“奇跡のバックホーム”を目撃して、思わず立ちあがったという。まだ智辯和歌山が夏の栄冠を一度も手にしていない頃の話だ。
「高嶋先生の中で来年は全国制覇を狙えるという手応えがあって、自らバスを運転して連れてきたのだと思う」
それから学校に帰って練習した。
試合前に100mダッシュ100本、スクワット1000回
常勝高嶋野球の土台は猛練習にあり、と表面的に理解はしていたが、夏の甲子園を制した'97年と'00年の選手たちに取材を重ねると、その過酷さに驚かされた。
'97年の優勝メンバー、2年生でレフトを守った鵜瀬が振り返る。
「普段の練習は14時に始まって21時まで。ノック、バッティングが2時間ずつ、とにかく時間が長かった。下宿に帰って洗濯して風呂に入るんですが、湯につかりながら眠っていました。干し忘れたユニフォームは翌日、教室に干すんです」
春の近畿大会では試合前にもかかわらず、球場周辺で走り込んだ。
「100mダッシュ100本、スクワット1000回。天理の選手に『これから試合やぞ、何やってんねん』と言われました」
決勝で、その年のセンバツ王者の天理に勝つのだった。
「やりすぎや、明日、体が動かへんわ」
夏の和歌山大会準決勝の夜も21時までバッティング練習をしたという。
「フライアウトばかりで内容が悪かった。さすがに喜多さんが怒ってました。『やりすぎや、明日、体が動かへんわ』って(笑)」
初めて進出した夏の甲子園決勝、その年の最注目左腕・平安の川口知哉を撃破。当時のチーム最高打率4割6厘を記録した。主将で捕手の中谷仁(現・智辯和歌山監督)、3番を打った喜多隆志(現・興国監督)が中心選手だった。
来年はここで決勝戦をやるから――鵜瀬は決勝の開始前、水が撒かれる内野グラウンドを眺めながら1年前の高嶋の言葉を思い出したという。
練習の山場は6月だ。'00年、2年生ながら3番を打った武内晋一(現・ヤクルト編成部)は「お金を積まれてもあの1カ月には二度と戻りたくない」という。