甲子園の風BACK NUMBER
ボール直撃で“顔面骨折の球児”は今「高校野球をつまらなくしてしまった」低反発バット導入の発端に…岡山学芸館の本人語る“野球への本音”
text by
井上幸太Kota Inoue
photograph byJIJI PRESS
posted2024/08/16 06:02
2019年夏、相手打者が放ったライナーが直撃し、病院に搬送された岡山学芸館・丹羽淳平
「わあ、懐かしいなあ。あ、でもやっぱり細くなった感じしますね」
高校卒業以来、触れる機会のなかった金属バットに郷愁を感じつつ、基準改定による変化も感じ取った。バットを眺めながら、丹羽が続ける。
「申し訳なさがありつつ、このバットで試行錯誤できるのが、うらやましくもあるんですよね」
語られることは少ないが、丹羽は進学した山梨学院大で投手をやめ、野手に絞った。バットが木製に変わった当初は苦戦した。
「高校時代、父親がすごく熱心に応援してくれて、練習試合を含めて打撃成績を記録してくれていたんです。自分でもビックリするんですけど、通算で4割3分くらい打ってました。けど、今思うと、先っぽや根っこで打った、『金属だから打てたヒット』もたくさんあって。ヒットになっていたから、技術的なヒントに気づかないままやってしまったなと思います。それもあって、大学で木に変わってからは、めちゃくちゃ苦労しました」
大学1年時は「たぶん20本くらいバットを折りました」。そこからは、打撃を一から見直した。左投左打のため、どうしても押し手である左手が強くなる悪癖を改善しようと、右手一本でのティー打撃を取り入れて、スイングを作り直した。
所属した関甲新大学リーグでタイトルこそ縁はなかったものの、内野手のレギュラーを張り、リーグ戦で、「高校時代は一本も打てずに、監督からもいじられていた」本塁打を放つなど、好打者として存在感を放った。その実感を込めて言う。
「完璧に捉えたら、『木のほうが飛ぶんちゃうか?』と思えたり、苦労はしたんですけど、試行錯誤することで、バッティングの面白さに気づけた大学野球でした。なので、新基準バットに苦労している高校生がいたら、『自分は通用しないんじゃないか』と思わずに、絶対大学でも続けてほしい。今、苦しんだことが上で生きてくると思うので」
弟が今夏、甲子園に出場
とはいえ、「バットが変わって、点が入りづらくなることで、終盤の逆転で球場が異様な雰囲気になる試合がなくなって……“甲子園の魔物”までいなくなったら、やっぱりいやですね」と、期せずして自身が関わる形となった基準変更に対して、割り切れない気持ちも残る。それには、5歳下の弟で、現在母校に3年生として在籍している知則の存在も影響している。