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「選手起用が気に入らない、と言ってきた(笑)」慶応・森林監督の“ブレない球児時代と今”「僕は昭和の人間ですが…」上田誠前監督が明かす 

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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photograph byHideki Sugiyama

posted2024/07/13 11:01

「選手起用が気に入らない、と言ってきた(笑)」慶応・森林監督の“ブレない球児時代と今”「僕は昭和の人間ですが…」上田誠前監督が明かす<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

慶応義塾高校の森林貴彦監督。前監督の上田誠氏が知る現役時代と、指導者としての素顔とは

 森林は筑波大学に通っている間、つくば秀英高の野球部(当時の監督は元ヤクルトの阿井英二郎氏)を手伝った。それと並行して教員免許を取り、筑波大学大学院でコーチングを習得した。

「その頃、ちょうど慶応幼稚舎(小学校)の教員募集があったんです。幼稚舎じゃ野球の指導はできないけど、慶応の中にいれば、機会があるぞって言ったら、小学校の免許を取って、幼稚舎の教員になった。そして高校の野球部の指導を手伝ってくれた。でも森林はもうコーチじゃないだろうと思って助監督にしましたが、僕としては身体が動くうちに森林を監督にすべきだと思っていた。それで2015年の夏が終わってから森林に監督の座を譲りました」

僕は昭和の人間ですが、森林はじっくりと…

 慶応高校は、2009年春に出てから、甲子園から少し遠ざかる。しかし上田は「この時期の神奈川県は、レベルがすごく高かったです。大ベテランの横浜高校の渡辺元智監督や円熟味を増した東海大相模の門馬敬治監督の指導がすごかったから、少しブランクがあります」と振り返るとともに「この間、慶応高校出身の選手が数多くプロに行って活躍していますから、僕としては充実していたな、と思います」とも語っている。

 2018年夏、慶応高校は9年ぶりに甲子園に出場する。これが森林監督になって初めての甲子園だった。そこには森林の指導に加え、赤松衡樹部長の働きが大きかったという。森林が幼稚舎の授業があって動けない中で、赤松が全国を見て回って素質のある選手をスカウトする。そこから入学してきた選手を、森林が自主性を重んじる指導をして伸ばしていく、といった流れだ。

「僕は昭和の人間ですから、ああしろ、こうしろ、と言ってしまいそうになるんですが、森林は選手が成長するのをじっくり待っている。その結果として選手が『こういうところで野球をやりたかった』となって、いい結果に結びついたんだと思います」

 その結果として、2023年夏の甲子園での優勝を勝ち取った。

「苦しかったのは神奈川県大会の準決勝、決勝でしょう。以後は、本当に一戦一戦強くなっている感じで、大学のメンタルコーチだった吉岡眞司さんの評判がすごく良くて、それで高校の方もお願いしたんですが、教えを受けているうちにみんな大人になりました。そういう形でメンタルも強くなって、優勝したんでしょう」

森林に引き継いだ上田も今、新たな挑戦を

 30余年前、名門ではあったがもはや「古豪」という名称に改まりつつあった慶応高校を、再び甲子園で輝かせたのは、上田誠、森林貴彦という二代のユニークな指導者だった。

 両者は、いつ話を聞いても明るくて、フランクだ。まさに「エンジョイベースボール」を体現していると言えよう。

 そして上田誠は今年、新たな挑戦を始めている。これも実にユニークな展開だ。

つづく

#3に続く
「キャンプで僕が業務用トラックを」四国各県バス遠征、帰宅は深夜1時…なぜ慶応高校前監督は“独立L球団代表”になったか「今の使命です」

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