酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
「選手起用が気に入らない、と言ってきた(笑)」慶応・森林監督の“ブレない球児時代と今”「僕は昭和の人間ですが…」上田誠前監督が明かす
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byHideki Sugiyama
posted2024/07/13 11:01
慶応義塾高校の森林貴彦監督。前監督の上田誠氏が知る現役時代と、指導者としての素顔とは
「慶応義塾大学は江藤省三監督、大久保秀昭監督と、選手の指導法が素晴らしかったですね。僕はそういうのを見て高校の指導に活かしました。そして推薦制度になってからはいい選手も入ってきた。
柳町は1年の春から3番を打たせました。1年でこんなスイングしてるのって、びっくりした。彼一人だけ違いましたね。慶応高校出身の選手が、大学でも主力で活躍するようになったのは大きいですね。僕が高校の監督になった当初は、大学に上がって試合に出ている選手なんていなかったですから」
上田が監督を務めたのは、木澤の代が2年時まで。最上級生になる時に、森林貴彦監督にバトンタッチした。
「それ以後も、いい選手がどんどん出ている。頼もしいですね」
現役時代の森林貴彦はどんな選手だったのか
上田にとって、森林はどんな教え子だったのか。そう聞くと、知られざるエピソードを明かす。
「僕が監督になったときに、彼は高校2年でした。それから、僕がやることを森林はずっと見ていてくれた。僕は森林に『僕の方が年齢が上で野球の先輩だから、教えることは教える。だけど、違うと思っていることは絶対に言ってこい』と伝えたんです。そうしたら『選手起用が気に入らない』とか『なんで彼が出ているんですか?』とか、本当に言ってきたんですよ(笑)。それは今もずっと変わらない」
選手時代の森林は俊足のショートだったが、打撃に課題があったという。そこで上田は助言を送ったが、森林の反応は意外なものだった。
「『打つのは努力すればどうにかなるから、大学でも野球を続けろよ』と言ったんですが、森林は『大学では野球はいいです。高校のコーチをさせてください』と言って、大学進学後は慶応高校の学生コーチになった。彼自身が、指導者に向いていると思ったんですね。だから教職でも取るのかな、と思ったら、NTTに就職した。あれっと思ったんですね」
森林を監督にすべきだと思っていた
しかし、上田と森林の関係は、そこで終わらなかった。
「僕が、慶応義塾大の前田祐吉監督に言われてアメリカに留学しているときに、森林が『相談があるんですけど、アメリカに行ってもいいですか』って連絡してきた。いいよって言って、彼がやってきた。
その時には、彼はNTTを辞めていたんです。『お役所みたいに決められた仕事をやるのが面白くない、指導者になりたい。筑波大学に入り直します』と言ってきた。だから『相談とかいって、もう進路を決めてるんじゃねえか』と返しましたね(笑)」