甲子園の風BACK NUMBER
甲子園優勝の名門…なぜ勝てなくなった? 現地で見た“まさかのコールド負け”松山商業「愛媛では強いが…」「エースが“1日2試合”登板」揺れる今
text by
元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph byIchiro Sugino
posted2024/07/07 06:00
春は愛媛県大会を制すも…甲子園優勝の「名門」松山商業の今を追った
「矢野が失敗して、またイチからやり直しということがよくありました。監督としては、エラーで練習を終わるわけにはいかんからね。
ずいぶんあとになって聞いたことやけど、練習終わりに『お願いだから、野球部をやめてくれ』と同期に土下座されたことがあるらしい。『お前がやめてくれたら練習が早く終わるから』と。真顔でお願いされた時にはグサッときたと矢野が言うとったね」
なぜ低迷? 「ライバル私立校」「時代の変化」
こんな猛練習を積み重ねたおかげで、松山商業は全国の頂点に立った。「古臭い」と言われても、勝利を積み重ねているうちはそれが「正解」だ。しかし、近年は苦しい状況が続く。
要因のひとつはライバルの台頭。もうひとつは高校野球の変化によって。
松山商業の牙城を崩そうと目論んでいたのが宇和島東の上甲正典監督だった。1988年春のセンバツで初優勝を飾ったあと、1990年代には8度の甲子園出場を果たしている。
2002年、上甲は創部したばかりの済美の監督に就任。それ以降、愛媛県内の勢力図が大きく変わった。2004年春のセンバツで優勝、夏の甲子園では準優勝。2013年春のセンバツでも決勝まで勝ち上がった。上甲はスピードボールを投げられる投手を育て、長打力のある強打者を集めた。「力の野球」で愛媛のライバルを、日本中の強豪校を蹴散らしていった。
澤田は言う。
「1969年の日本一の時のインパクトがありすぎて、松山商業=鉄壁の守りというイメージが強かった。ずっと、守り、守り、守りでやってきました。しかし、それだけでは勝てない。ほかの県でもそうでしょう? 強豪私立がどんどん力を伸ばし、それまで伝統的に強かった公立の商業高校がなかなか勝てなくなりました」
「四国四商」と称された四国の商業高校(高松商業、徳島商業、高知商業、松山商業)も甲子園から遠ざかった。しかしその後、他の3校は無事に帰還を果たしているのに、松山商業だけ聖地に戻れない。