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バレーボールPRESSBACK NUMBER
“ヤンチャ坊主”西田有志を育てた肝っ玉母ちゃんとマジメな父「タバコ吸いたいなら吸え」悪さしてもバレーボールだけは一生懸命だった
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byVolleyball World / Nishida family
posted2024/06/08 11:02
(右)賞状を手に写真に収まる中学時代の西田有志
幼い頃を振り返れば、手を焼いたエピソードには事欠かない。
両親が仕事で家を不在にした間、家にいるはずが「有志くんがまた田んぼで勝手に遊んどる」と近所の人から電話が来るのは日常茶飯事。夏休みは、宿題をほっぽり投げて「夏“休み”」なのだから、と遊び惚けた。その宿題は、といえば、手付かずのまま「一回、怒られたらええんやろ」と開き直る。まだ食べるなと言っても勝手に食べ、「食べてない」と平気で嘘をつく。もちろん、叱ればまた泣く。
そんなヤンチャ息子が唯一、嘘もつかず、サボらず、一生懸命取り組んできたのがバレーボールだった。
「赤点だったら練習させてもらえないよ」
美保さんと同様に父・徳美さんもバスケットボール選手だったが、3人の子どもが選んだのはいずれもバレーボール。「バスケをすればあれこれ言われるのがわかっているから避けたはず」と美保さんは笑う。
姉に続いてバレーボールを始めた兄は、小学6年生の時に「圭吾(兄)と一緒にやりたい」と望んだ5歳の有志を連れ出した。まだ保育園生ではあったが、特別に練習へ参加させてもらった。
練習は平日19時から始まり、終わるのは21時近く。決して早くない時間だが、自分より大きな選手の中で目を輝かせてボールを追いかけ続ける。当然、体力を使い果たした有志はお迎えの車の後部座席に着くとすぐに寝た。それでも、くたくたになる毎日に一切弱音を吐かなかった。
「集中力がすごいんですよ。バレーに関してだけは、とにかく一生懸命やる。大人になってからもずーっとそう。高校に入ってからも(テストで)赤点だったら練習させてもらえないと言われたら一生懸命勉強するし、イタリアに行ってからも言葉が必要だからと3カ月で覚えた。バレーボールに対してだけは異常なんですよ(笑)」(美保さん)
ただし、常に真っすぐな道を進み続けていたかといえばそうではない。むしろ、踏み外しそうになったこともある。大きな反抗期は中学時代に訪れた。小学生時代に出場した大会から全ての記録はスマートフォンにメモして保存している徳美さんが、画面を見返しながら当時を回想する。