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JリーグPRESSBACK NUMBER
「上手すぎて近寄りがたかった」若き日の中田英寿が恐れた男・財前宣之が明かす〈天才少年伝説〉のリアル「自分の才能を特別とは思わなかった。ただ…」
text by
生島洋介Yosuke Ikushima
photograph byAFLO
posted2024/05/17 11:00
1993年U-17日本代表での財前
「市川では騒がれたかもしれません。実はミュージシャンのKREVAがどこかで言ってくれたんだけど、小学生のときにとんでもないヤツが北海道から転校してきたと。どんだけ頑張っても追いつけない差を感じたって。それを聞いて、同級生だった彼があのKREVAなんだって驚いたんです。俺は上の学年に交じっても、ボールを持てばドリブルしてスルーパス出すようなタイプだったし、なんかすげえのが来たみたいな感じはあったと思います。
周りの子ができないことがすぐできるというような感覚はありました。ボールの回転や弾道まで考えてキックを使い分けたりしていたし。ただ、俺は憧れていた兄が見せるリフティングやフェイントなんかを全部できるようになりたくて、公園でめちゃくちゃ練習してましたよ。
それにずっと必死でした。小3ではうまいけど一緒にやるのは年上のお兄さんたちだったし、読売はジュニアで日本一になった学年で、中学から入った俺は一番下手。自分が日本で一番うまいと思ってる都会っ子集団を前に、田舎もんの俺はびくびくでした。実際、鳥かごをやればわざと浮き球を脛に出されたり、認められるまで半年はいじめられましたから」
自分では気づかなかった才能
北海道から来た「とんでもないヤツ」−−。大きな注目を浴びながら動じることなくめきめき頭角を現していった天才はしかし、自分の才能を特別だとは思わなかったと言う。
「そもそも、二人の兄はサッカーで有名だったから、読売に受かったよ、代表に入ったよって言っても、そうなんだってだけで、家族は褒めてもくれない。上の兄は中学時代から日産の加茂(周)さんが見に来てたぐらい、ずっと先を行ってたんです。だから、自分がすごいなんて全然思ってない。あの頃のことでひとつ自慢できるとすれば、とんでもないサッカー小僧だったことですね。行徳から読売ランドまで片道2時間半かけて通うのも大変だったけど、中学の部活の朝練にも出てましたから」
読売ユース時代にU-17世界選手権で活躍した財前は、前倒しでトップチーム登録が打診された。ただ当時のヴェルディ川崎には世界的にもトップクラスのサラリーを得る選手がずらり。試合に出られる状況でないなら他の選択肢はないかと考えていたところへ、三浦知良を顧客にしていた代理人が接近してきたという。三浦がジェノアへ移籍する際、若い日本人も欧州へ挑戦させようと選手を探していたのだ。こうしてラツィオへ1年間留学することが決まった。