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「上手すぎて近寄りがたかった」若き日の中田英寿が恐れた男・財前宣之が明かす〈天才少年伝説〉のリアル「自分の才能を特別とは思わなかった。ただ…」
posted2024/05/17 11:00
text by
生島洋介Yosuke Ikushima
photograph by
AFLO
2022年11月12日、財前宣之は石巻フットボール場で三度宙を舞った。代表を務めるFCフォーリクラッセ仙台が、高円宮杯全日本U-15の東北プレーオフ決勝で延長戦の末ベガルタ仙台に勝利。クラブ創設2期生がつかんだ初の全国切符を祝う胴上げだった。
全国から注目浴びるチームに
11年にタイで現役生活を終えた後、古巣のベガルタ仙台で育成を担当した財前は、4年で独立するとまずジュニアを対象としたサッカースクールを開き、19年にジュニアユース「FCフォーリクラッセ仙台」を設立。以来、県3部でスタートしたチームは最速で昇格し続け、いまや東北最高峰のみちのくトップリーグで青森山田中学やJアカデミーと鎬を削っている。財前のチームは育成年代で全国的に注目される新興勢力だ。
「地方の街クラブですから、マイクロバスで5時間かけて東京行って練習試合して、また5時間かけて帰ってくるのなんて当たり前。自分で運転もする。でも昔の俺を知ってる人は驚きますね。前に横浜FCに行ったときにはちょうどトップチームがきて、(中村)俊輔が“自分で運転してるんですか!?”って」
Jリーグ元年に日本で開催されたU-17世界選手権(現U-17W杯)で一際輝きを放った背番号10。日本代表をベスト8に牽引し、大会ベストイレブンに選出された活躍もさることながら、中田英寿や松田直樹、宮本恒靖ら後のW杯戦士を従えるエースとして記憶するファンも多い。彼のプレーを見たことがない若い世代でも、当時を振り返った中田の言葉は知っているかもしれない。
いわく「同世代の憧れで、上手すぎて近寄りがたかった。ひとことで言えば天才」――。育成指導者となったいま、天才は少年時代の自分をどう振り返るのだろうか。
KREVAも仰天した「天才」
北海道・室蘭市生まれの財前は、幼稚園に入った頃、8歳上の長兄の練習についていきグラウンドの端でボールを蹴り始めた。長兄とは、後に室蘭大谷高で活躍し、異例のプロ契約で日産に入った恵一だ。北海道ならではの室内サッカーで技術を磨き、小学3年で千葉県市川市に引っ越すと、すぐに6年生のチームでプレーするようになる。卒業前に読売ジュニアユース(現・東京ヴェルディジュニアユース)のセレクションを受けて400人中ただ一人合格。やがて10番をつけて個性派を従え、U-17日本代表でも中心を担っていった。