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「わずか5分で570万円の損失が」それでも2カ月後には数百万円を…角界“野球賭博事件”の元力士が語る“賭博沼”の恐怖「水原さんの心境もわかる」
text by
欠端大林Hiroki Kakehata
photograph byHitoki Kakehata
posted2024/04/25 17:30
事件の“首謀者”のひとりとして有罪判決を受けた押尾川部屋の元幕下力士・古市満朝氏(左)と高校野球で実際に使われた賭博表(右)
「270万の勝ちが5分で300万の負けになり、ひと月は立ち直れなかった。しかし、8月になって何とか取り返したい気持ちがぶり返し、今度は高校野球の決勝戦に張ったのです」
2カ月後の8月22日、甲子園球場で行われた佐賀北と広陵の決勝戦。公立高校として快進撃を続けていた佐賀北であったが、エースの野村祐輔(現・広島)を擁する広陵の実力上位は揺るがず、古市氏はハンデの出ていた広陵に数百万円を投じていた。
試合は8回表が終わった時点で4-0と広陵リード。佐賀北はヒット1本に封じ込まれ、千葉マリンの惨劇で失ったカネを取り戻す大勝利は目前に迫っていた。
ところが、ここから高校野球史に残るドラマが起きる。球審の微妙な判定で歯車の狂った野村は、押し出しの後、まさかの逆転満塁弾を浴びてしまう。試合は5-4で佐賀北が劇的な初優勝を飾った。
自分の意思で賭博をやめることができない状態に
「あのときは甲子園に乗り込み、球審の首を絞めてやろうかと本気で思いました。ただ、結局その後も野球賭博をやめることはできなかった。野球賭博は客として張るだけではなく、中継としてカネを集め、それを握って大きく勝負する方法もある。大勝ちの選択肢がいくつか用意されているため、負け金が大きくなればなるほど抜け出すことは難しくなる。
自分の場合、事件で逮捕されることによって強制的にリセットされましたが、水原さんも自分の意思で賭博をやめることができない状態に陥っていたのは間違いないと思います」
文豪ドストエフスキーが、ルーレット賭博に取り憑かれた青年の病理を描いた名作『賭博者』を発表したのは1866年のことだった。「勝つ」ことから、やがて「負けを取り返す」ことに目的を移行させるギャンブラーの破滅の物語は、150年以上が経過した現在も繰り返されている。