ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
「カネの話は一切してない」横綱・曙(享年54)が明かしていた「相撲界を離れた本当の理由」あのボブ・サップ戦を実現させた“仰天オファー”
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2024/04/12 17:18
2003年の大晦日、視聴率43%を記録した「曙vsボブ・サップ」の一戦
’05年8月からは武藤敬司を師匠と仰ぎ、当時武藤が社長を務めていた全日本プロレスに本格参戦。全日本では三冠ヘビー級王座をはじめ、世界タッグ、アジアタッグなど、主要なベルトを獲得。さらに新日本プロレスで世界的なスーパースターのブロック・レスナーとIWGPヘビー級王座を懸けて闘い、『ハッスル』ではグレート・ムタとインリン様の“息子”ボノちゃんとしてエース級の活躍をした。プロレス人気の低迷期であった2000年代後半、曙の存在はまさに救世主だった。
曙さんがプロレス界で活躍できた背景には、曙さん自身のプロレスへの愛と素養があった。
「プロレスは子どもの頃から大好きだったんですよ。小さい頃のアイドルは、ザ・ロック(ドゥエイン・ジョンソン)のおじいちゃん(ハイチーフ・ピーター・メイビア)で、ハワイの団体に来ていたミッシング・リンクやブルーザー・ブロディ、ドン・ムラコ、ジミー・スヌーカなんかが好きでした。だから、プロレスはやってて楽しい。
でも、相撲のときもプロレスになってからも、気持ちは一緒なんですよ。やっぱりボクらは見られてなんぼの世界なんで、相撲だって勝ち負けだけじゃないですから。ボクらが相撲取っていたときに一番教えられたのはそれですね。『お客さんに“明日も観たい”って言わせる相撲を取れ』って。相撲の時はそういう気持ちで土俵に上がっていたし、プロレスになってからも同じ気持ちでリングに上がってたんです」
「なんで相撲を捨てて、そんなことやるんだ」
こうしてプロレス界で確固たる地位を築いた曙だったが、46歳になった2015年の大晦日、突如格闘技のリングに復帰する。RIZINでボブ・サップと12年ぶりの再戦を行ったが、結果は後頭部からの出血が止まらず2ラウンド早々で試合がストップされての判定負けで、12年越しのリベンジはならなかった。
「悔しいですよ。12年前にやったときは準備期間なしで、売られたケンカを買ってしまったから、今度こそ万全でやってみたかったんですけどね。ただ、12年前より全然落ち着いて闘えたし、スタミナも問題なかったし、教えられた作戦通りにもできたんだけど、たまたま血が止まらないアクシデントに見舞われて……。もう少し続けられたら、いい線いったと思うんですけどね。2ラウンドから勝負かける作戦だったんで。
だから結果はああなったけど、パンチも全然効いてないし、入場から試合までは楽しめた。その試合を楽しめたというのは、すべてプロレスを10年間やってきたおかげですよ。たくさんの声援と『曙コール』も聴こえましたしね。相撲時代は若・貴への声援。格闘技やプロレスに入ってからも相手への声援が多かった。でも、ずっと頑張ってきたことで、こうして応援してもらえるようになったので、自分がやってきたことは間違いなかったなって」
そしてRIZINに参戦した真意をこう語った。