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「カネの話は一切してない」横綱・曙(享年54)が明かしていた「相撲界を離れた本当の理由」あのボブ・サップ戦を実現させた“仰天オファー”

posted2024/04/12 17:18

 
「カネの話は一切してない」横綱・曙(享年54)が明かしていた「相撲界を離れた本当の理由」あのボブ・サップ戦を実現させた“仰天オファー”<Number Web> photograph by AFLO

2003年の大晦日、視聴率43%を記録した「曙vsボブ・サップ」の一戦

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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 大相撲の第64代横綱で、引退後はK-1やプロレスのリングで活躍した曙太郎さんが心不全で亡くなったことがわかった。54歳の若さだった。

 曙さんは、18歳のときに同じハワイ出身の東関親方(元関脇高見山)のスカウトで来日。相撲界に入ってからは、身長203cmの恵まれた肉体と運動能力、そして持ち前の根性でめきめきと頭角をあらわし、1993年に外国出身力士として初めて横綱に昇進。通算11度の幕内優勝をはたし、貴乃花、若乃花とともに平成の相撲ブームを牽引した立役者となった。

ボブ・サップとの一戦はなぜ実現したか

 2001年に現役引退後は、東関部屋の部屋付き親方として後輩の指導をしていたが、2003年末に突如、日本相撲協会を退職してK-1に参戦。大晦日の『Dynamite!!』(ナゴヤドーム)で、当時人気絶頂だった野獣ボブ・サップとK-1ルールで対戦して世間を驚かせた。

 あまりにも突然だった格闘家への転身。この時、K-1参戦を決めた経緯を筆者がのちにインタビューした際、曙さんはこう答えている。

「K-1はボクが横綱に上がった頃、ちょうどテレビでもやり始めたんですよ。おもしろくて毎回観てたんだけど、あの頃はボクも若かったから、観ながら『俺でも勝てるんじゃないか』って思ってましたね。実際はそんな甘くはなかったですけど、ボクは現役が終わってからK-1に行ってるじゃないですか。あの22~23歳の一番盛り上がってる頃に行ってたら、そうはいかないですよ。実際、サップとやるときも谷川(貞治=K-1イベントプロデューサー)さんに挑発されるようなかたちで、相撲協会辞めちゃいましたからね。

 九州場所が始まる直前、若い衆に稽古つけてたら谷川さんが部屋に突然来て、『この人(ボブ・サップ)が、大晦日に横綱とケンカしたがってるんですよ。「絶対に横綱を倒す」と言ってます』って、いきなり言ってきたんですよ。それまで谷川さんとはほとんど面識がないのに、いきなり契約書持ってうちの部屋に乗り込んできて。『こいつ、ナメてんな』『張り倒してやろうか』って思ったもんね(笑)」

「カネの話は一切してないんだよ」

 しかし、この谷川プロデューサーによる礼を欠いたアポ無しでの突撃が、横綱の心に火をつける。

「あの頃、相撲を引退して約3年。身体はもう相撲は取れないけど、気持ちとしては(現役から)切れてなかったんですよ。それで、たまたまその日の夕方に東京に帰る用事があったんで、家で奥さんに『今日、K-1の人が来て、俺を倒すヤツがいるって言うんだよ』って話して。『ホントに悪いんだけど、俺は行くよ』って、伝えたんです。そうしたら奥さんは『あなたが決めることだから、決まったら応援するよ』って言ってくれて。それで奥さんにそのまま契約書を渡したんです」

 その後、曙夫人はハワイから顧問弁護士を呼び寄せ相談すると、弁護士は横綱の商品価値とネームバリューを考えれば、「提示されたファイトマネーの額より3倍、4倍は取れる」と話したが、曙は金銭交渉をしようとはしなかった。

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