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「ペアにはつきものと言えるが…」りくりゅうが向き合った“ケガとの闘い”…それでも三浦と木原が世界選手権で見せた「2人ならではの世界」とは
posted2024/04/03 17:01
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
JIJI PRESS
フィニッシュ後の2人は、対照的だった。
3月21日、フィギュアスケートの世界選手権ペアのフリー。演技を終えると、力をすべて振り絞ったように、木原龍一は氷上に手を突いた。三浦璃来の表情は硬かった。中盤、サイドバイサイドのトリプルサルコウが2回転になったことが脳裏にあったのか。
得点を待つキスアンドクライでも表情が和らぐことのない三浦を、木原はあたたかな表情で労う。
得点が出る。144.35点。笑顔を見せる木原とブルーノ・マルコットコーチに挟まれ、三浦の表情は簡単には和らがない。
今までも目にした、彼らの日常のような光景があった。しかしその内実は、今までと同じではなかった。
木原を苦しめた腰椎分離症
昨シーズンの世界選手権で念願の世界一に輝いた三浦と木原は、しかし今シーズン、思いがけないアクシデントに見舞われた。
昨年9月、シーズン初戦としてオータムクラシックに出場。この大会を2位で終えた2人は、次の大会としてグランプリシリーズ開幕戦である10月のスケートアメリカを予定していた。だがこの大会を木原の腰椎分離症により欠場。ペアにはつきものと言えるが、8月頃から違和感があり、徐々に痛みを伴い悪化していたという。
10月には、11月末のNHK杯欠場を発表し、その後全日本選手権の欠場も発表。シーズン初戦となったのは年が明けて2月の四大陸選手権。腰の状態を含め試合に出られるレベルになったと思えたことから出場した大会だったが、ペアの技の練習を始めたのは1月の2週目、ショートプログラムの通し練習は大会の2週間前から、フリーは1週間前からと急ピッチで仕上げての大会であったことも、怪我から回復するまでにかかった時間の長さを思わせた。
四大陸選手権を2位で終えて、迎えたのが世界選手権だった。