「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズBACK NUMBER
神がかったサヨナラ勝ちを連発…“1978年の広岡ヤクルト”に何が起きていたのか? 杉浦享の証言「星野仙一さんのボールの握りが見えたんです」
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph bySankei Shimbun
posted2024/03/30 11:01
1978年9月20日の中日戦、星野仙一から逆転サヨナラ3ランを放ち、喜びを爆発させるヤクルトの杉浦享
「相手投手は星野(仙一)さんでした。このとき、星野さんのボールの握りが見えたんです。バッターボックスの中で、“えっ、ストレート? この場面、普通はスライダーだろ?”と思いながら、ストレートをスイングしたらスタンドイン(笑)。スリーランで逆転サヨナラ勝利。で、次の日もレフトへ犠牲フライでサヨナラ勝利。この場面もライトではなく、初めからレフトフライを狙っていました。これは昔、三原監督時代に、“バットを内側から出してレフトに打つことを覚えなさいよ”と言われたことが役に立ったんです」
この発言にあるように、杉浦がプロ入りしたときの監督は三原脩だった。その後、荒川博を経て、広岡達朗へと続いていく。そして、1993年に引退したときにスワローズを率いていたのは野村克也である。八重樫幸雄同様、杉浦もまた「三原と広岡、そして野村」という球史に残る名将の下でプレーをした数少ない一人である。
「三原さんが監督だった頃は、僕はまだ二軍生活がメインだったのであまり接点はないけど、広岡さんと野村さんにはお世話になりました。僕から言わせれば、二人はまったくタイプが異なります」
広岡さんは《鬼の中の鬼》
そして杉浦は、興味深い言葉を口にした。
「広岡さんのことはずっと鬼だと思っていました。今でもその思いは変わっていません。一切妥協を許さない《鬼の中の鬼》でした。でも、野村さんはいろいろ野球哲学は語るけど、実際は《結果論でモノを言う人》という印象です。僕としては、広岡さんに対する感謝の思いの方がずっと強いんです……」
広岡と野村――両監督の下でプレーした杉浦が語る両者の違いとは、はたして一体、どんなことなのだろうか?
<杉浦享編第3回/連載第27回に続く>