「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズBACK NUMBER
「広岡さんは結果論で判断しない人。それに比べて野村さんは…」広岡達朗と野村克也の“最大の違い”とは? 杉浦享が語る「ホンネの名将論」
posted2024/03/30 11:02
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph by
BUNGEISHUNJU
広岡達朗は「決して結果論で判断しない人」
1978年には広岡達朗の下で、そして1993年には野村克也の下で、杉浦亨(現・享)は日本一を経験している。前者は、ようやくレギュラーをつかんだプロ8年目のことで、後者は現役最終年となったプロ23年目の出来事だった。
「78年、僕は広岡監督の下でレギュラーになり、プロとしてやっていく自信が芽生えました。一方の93年はシーズンを通じてほぼ出番がなく、この年限りでユニフォームを脱ぎました。自分の置かれていた立場は違うけど、僕なりに広岡さんと野村さんとの違いを感じる部分はあります」
両監督の違いについて、杉浦は「妥協」と「結果論」をキーワードに語り始めた。
「広岡さんは鬼です。厳しさで言ったら、《鬼の中の鬼》です。武士道と呼べばいいのかわからないけど、一度敵として戦うことになったら、相手がどんなに謝ってこようが何しようが、決して許さずに斬りつける。一切、妥協を許さない厳しさがありました。でも、野村さんはそうではなくて……」
淡々と語る杉浦の口調が、少しずつ熱を帯びていく。
「……野村監督は大事なところで曖昧なんです。古田(敦也)の配球にしても、ピンチでの守備隊形にしても、監督にアドバイスを求めようとしても、野村さんは横を向いていて何も指示を出さない。それなのに、結果が出た後に“こうなるとわかっていた”というようなことを口にする。すべてが結果論なんです。言っていることはすばらしいのに、いざというときに頼りにならない。でも広岡さんは、自分の意思で明確な指示を出し、その責任を負います。そんな印象が僕にはあります」
普段から毒舌で鳴らす杉浦らしい、辛辣な意見だった。その結果、杉浦の胸の内には「広岡さんはどんなに厳しくても、最後まで妥協せず、やるべきことをきちんとやっていれば、決して結果論では判断しない人だ」という信頼感が強固に芽生えることとなった。