「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズBACK NUMBER
神がかったサヨナラ勝ちを連発…“1978年の広岡ヤクルト”に何が起きていたのか? 杉浦享の証言「星野仙一さんのボールの握りが見えたんです」
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph bySankei Shimbun
posted2024/03/30 11:01
1978年9月20日の中日戦、星野仙一から逆転サヨナラ3ランを放ち、喜びを爆発させるヤクルトの杉浦享
杉浦は今でも、この手紙を大切に保管しているという。大杉からの激励によって、崩れ落ちそうになる気持ちを奮い立たせながら、自分のできることに必死に取り組んだ。同時に、「戦力にならない者はたとえ才能があっても、ベンチにすら入ることはできないのだ」という広岡の厳しさを痛感する。それは確実に、本人にとって、そしてチームにとって好影響をもたらした。杉浦の覚醒のときは、すぐ目の前まで訪れていた――。
どんなに劣勢でも、「すぐに逆転できる」と信じていた
新婚で臨んだ78年シーズンは杉浦にとって、飛躍の一年となった。開幕からしばらくの間は、ベテランの福富邦夫にレフトスタメンの座は譲ったものの、5月になるとスタメンに定着。以降、攻守にわたって活躍を見せ、完全にレギュラーに定着した。
「前年12月に挙式を上げて寮を出ることになって、女房の実家のすぐ近くのマンションに二人で住み始めました。それで運命が好転したのか、試合に出るチャンスも増えたし、自分も好成績をキープできました」
チームは一進一退を繰り返しながらも、懸命に優勝争いを繰り広げていた。とにかく雰囲気がいい。リードされていても、「絶対に逆転できる」というムードが充満していた。8月には首位ジャイアンツと4.5ゲーム差まで開かれてしまった。それでもスワローズは必死に食らいついていた。
「あの頃は、二段飛びで階段を駆け上っていくような勢いがありました。ペナントレースの中盤ごろからは、6回ぐらいになると逆転、逆転で勝ち進んでいきましたから。今まではリードしていても、“すぐに追いつかれて逆転されるんじゃないか?”と考えていたのに、この頃はその逆で、たとえリードされていても、“すぐに逆転できるだろう”というムードでしたから(笑)」
本連載において、水谷新太郎はこの勢いを「ラッキーエイト」と呼び、「8回ぐらいになるといつの間にか逆転しているんです」と語っていた。6回と8回の違いはあれど、当時ベンチ入りしていた選手はいずれも、「すぐに逆転できるだろう」と感じていたのだ。