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熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
《消えた天才》ネイマール、パトを操る「ブラジルのジダン」だったはずが…MFガンソの輝きを奪った残酷なケガ「でも、それが人生なんだろうね」
posted2024/03/01 11:01
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Buda Mendes/Getty Images
長身で、もっさりしている。運動量は多くない。スピードも並のレベルだろう。
しかし、ボールタッチが天才的。中盤の激戦地で、前後左右から突っかかってくるマーカーを、足先でボールをわずかに動かしていとも簡単にかわす。トラップが絶妙で、浮き球の処理もうまい。正面からはもちろん、背後のマーカーに対しても股抜きをやってのけて涼しい顔をしている。
状況判断が秀逸。敵の守備陣の注意を一身に引き付け、絶妙のタイミングで、計算し尽くしたスピードと回転でスペースへパスを送り込み、一瞬にして決定機を創り出す。
かと思えば、突如として強烈なミドルシュートを叩き込む。猛然とゴール前へ走り込み、頭でゴールを打ち抜く。
ジダンに酷似した優雅さ、しかし輝いたのは約1年半
「マエストロ」(注:本来は指揮者など芸術の専門家を指す言葉だが、フットボールでは「試合を支配する傑出した選手」を意味する)と尊称され、プレースタイルはフランスが生んだ天才MFジネディーヌ・ジダンと酷似していた。ただし、彼がその天分をいかんなく発揮したのは2009年初めから10年半ばまで、19歳から21歳になる直前までの約1年半だけだったが――。
フルネームはパウロ・エンリケ・シャーガス・リマだがパウロ・エンリケ・ガンソ、あるいは単にガンソ(ポルトガル語で「ガチョウ」)と呼ばれる。
それは、長身で痩せていて首が長いから、ではない。
ブラジル北東部の出身で、2005年、15歳のときサントスのアカデミーのテストを受けた。当時、クラブのホペイロ(用具係)は下手くそな若手選手を「ガンソ」と呼んでからかっており、パウロ・エンリケの走り方がギクシャクしていたのでこう呼んだ。しかし、テストで見事なプレーを見せて合格。アカデミーの試合で点を取る度にベンチへ走り、ホペイロに向かって「これでも俺はガンソか」とやり返した。それでこのニックネームが定着し、フットボール・ネームともなった。
「そこに出すとネイマールは必ずゴールを」
08年2月、18歳でデビューしたが、しばらくはU-20と行ったり来たり。しかし、2009年、出場機会が増えてポジションを獲得し、トップ下でチームの攻撃を操る。この年にデビューした2歳年下のネイマールとはアカデミー時代からの親友で、ピッチ内でも相性が抜群。ガンソから絶妙なパスを受けて、モヒカン頭の若者(ネイマール)はゴールを量産した。
そんなネイマールとの関係性について、ガンソはこう語っていたことがある。