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熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
《消えた天才》ネイマール、パトを操る「ブラジルのジダン」だったはずが…MFガンソの輝きを奪った残酷なケガ「でも、それが人生なんだろうね」
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byBuda Mendes/Getty Images
posted2024/03/01 11:01
2012年、ブラジル代表のユニフォームを着用したネイマールとガンソ
ブラジルリーグの試合で相手選手と交錯してピッチに倒れた。医師の診断は、左膝の前十字靭帯断裂。靭帯をつなぐ手術を行ない、リハビリを経て、約6カ月半後の11年3月中旬、ピッチへ戻った。
「キャリアで初めての大怪我で、衝撃を受けた。もう二度とプレーできないんじゃないか、とすら思った。治療とリハビリの長い日々を耐え、何とか復帰できた。またプレーできる喜びを、全身で味わった」
ただし、復帰後のガンソは――以前の彼と同じではなかった。
筋肉系の故障が頻発し、継続して彼本来のプレーを見せることができない。クラブでの主役は、ネイマールに奪われた。それでも11年コパ・リベルタドーレスを制覇し、12年ロンドン五輪にも招集されたが、控えに甘んじた(ブラジルは銀メダルを獲得)。
「医者は『膝の故障は完治した』と繰り返す。でも、全力で走ったり左足で強くボールを蹴ると、しばしば違和感を覚えた」
古巣サポに「金の亡者」と罵声を浴びた移籍
折しも、サントスと契約延長の交渉を行なったが、クラブが示した条件は厳しかった。交渉が難航するのを見て、宿敵サンパウロが好条件を提示する。サントスのサポーターから「金の亡者」といった罵声を浴びたが、2012年9月、サンパウロへの移籍を決断した。
「15歳でサントスのアカデミーに入り、以後の約7年間、サントスに在籍した。良い思い出がたくさんあり、強い愛着があった。でも、気分を一新してキャリアを切り開こうと考え、新天地を求めた」
サンパウロでは身体のケアを念入りに行なったことで、筋肉系の故障が減った。2013年、14年と60試合以上に出場した。とはいえ運動量が低下し、スピードも落ちており、以前のような輝きが戻ったわけではなかった。
リベルタドーレス制覇に貢献も、若き日の輝きはない
16年6月に行なわれたコパ・アメリカ(南米選手権)に招集され、4年ぶりにセレソンのユニフォームに袖を通したが、ピッチには立たせてもらえなかった。この年の7月、セビージャ(スペイン)へ移籍。2シーズン在籍したが、筋肉系の故障などから体調が整わず、出場機会が少なかった。18年にはアミアン(フランス)へ貸し出されたが、ここでもほとんどプレーできなかった。
19年初め、母国へ戻ってリオの名門フルミネンセへ入団。まずまずのプレーを見せた。そして、22年4月に監督に就任したフェルナンド・ジニスから全面的に信頼され、攻撃の柱として昨年のコパ・リベルタドーレス制覇に貢献した。
現在、34歳。今年もフルミネンセでプレーを続け、昨年はクラブW杯にも出場した。チームにとっては重要な存在だが、サントスでの若手時代に放ったまばゆいばかりの輝きは――もはやない。