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熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
《消えた天才》結婚生活が9カ月で破綻のち「地獄に落ちたPK失敗」世界最強FWになるはずが今は無所属…アレシャンドレ・パト34歳の悲運
posted2024/03/01 11:00
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Takuya Sugiyama
野性的な風貌の持ち主が多いブラジル人選手の中にあって、レオナルド(フラメンゴ、鹿島アントラーズ、ACミランなどでMFとして活躍し、1994年W杯で優勝)、カカ(サンパウロ、ACミラン、レアル・マドリー、ブラジル代表などでMFとして活躍し、2002年W杯で優勝)と並ぶ、貴公子然とした容貌(ただし後述するが、このことがフットボール王国ブラジルにおいては一種の“ハンディ”となりうる)。
そんな1人のアタッカーが頭角を現したのは、00年代後半のことだった。
ロナウドとカカを合わせた天才アタッカー
スペースへ抜け出すスピード、繊細なボールタッチ、柔らかいドリブルでマーカーを出し抜き、美しいシュートをゴールへ流し込む。若くして華々しいデビューを飾り、「ロナウド(インテル、レアル・マドリーなどで活躍し、02年W杯で優勝)とカカを合わせたような天才アタッカー」と評された。国内メディアは、「いずれ世界一のアタッカーとなり、セレソン(ブラジル代表)に多くの栄光をもたらすはずの男」と持ち上げた。
ブラジル南部の小都市パト・ブランコ(注:白いアヒル、を意味する)の出身であることから、「アレシャンドレ・パト」あるいは「パト」と呼ばれるようになった。フットサルで足技を磨き、12歳で南部の名門インテルナシオナルのアカデミーに入団した。
「好きなフットボールに打ち込めたのは嬉しかったが、まだほんの子供だったからホームシックになり、とてもつらい思いもした」
インテルナシオナルは80年代のセレソンでジーコ、ソクラテス、トニーニョ・セレーゾと共に「黄金のカルテット」の一員として華麗なプレーを披露したMFファルカンの出身クラブだが、パトの才気あふれるプレーはたちまち評判になり、「クラブ史上最高の才能」と騒がれた。
17歳でクラブW杯ゴール、バルサ撃破→ミラン移籍
06年11月、17歳2カ月でデビューすると、試合開始直後、スルーパスに反応して敵の最終ラインをすり抜け、右足アウトサイドで流し込んでいきなりゴール。さらにこの年12月に日本で行なわれた世界クラブW杯に出場し、準決勝アル・アハリ戦で前半23分に先制点。当時17歳102日で、FIFA主催の公式大会における最年少得点記録を更新した(注:従来の記録は、ペレが58年W杯ウェールズ戦で得点したときの17歳239日)。決勝でMFロナウジーニョ、MFデコにイニエスタ、CBカルレス・プジョルらスターが顔を揃えるバルセロナを倒して世界クラブ王者に輝いた。
パトは当時について、こう語っている。