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「高校で陸上はやめようと思っていた」マラソンランナー・前田彩里が振り返る「普通の学生生活を送りたかった」女子高生が陸上を続けた理由
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byNanae Suzuki
posted2024/02/18 17:00
小学校まではバスケ部。家族の影響で中学から陸上を始めたという前田彩里。ダイハツに入社するまでのキャリアを振り返ってもらった
もう地獄でした。キツくて…
中2になっても興味はさほど膨らまず、競技以外のおしゃれなどに目が向くようになった。中3になると反抗期に入り、心がひねくれた。父に「家からとりあえず出ろ」と言われて、高校はほぼ強制的に熊本信愛女学院への入学が決められた。すでに姉が在学しており、しかも陸上部は監督の家に下宿することになる。親の立場で言えば思春期に入った娘の変化と成長を期待しての決断だったのだろう。実際、熊本の名門での合宿生活は、相当に厳しい場だった。
「もう地獄でした。キツくて、やめたいしか思わなかったです」
当時、合宿での掃除洗濯は、1年生が練習の合間にすべてこなす。練習が終わると先輩よりも早く帰って食事の準備にかかる。朝練は5時30分にピタリと起きなければならない。早く起きてもダメ。携帯がないので腕時計のアラームを起床時間に合わせて寝ていた。夜10時までは勉強時間、10時15分消灯だったので、自由な時間がなく、先輩より先に寝る際は「お先に失礼します、おやすみなさい」と言わなければならなかった。学校で先輩に会うと大きな声であいさつをするなどのルールが課されるなど、あまりのキツさに脱走する生徒もいた。
「学校では先輩に会うのが嫌なので、教室から出ませんでした。こういう部内の暗黙のルールは、監督は知らないんです。先輩から代々受け継がれてきたもので、厳しい寮生活を経験された先輩が来てくれた時、『ここでやれたらどこでもやれるから、3年間だけ耐えろ』と言ってくださったんですけど、卒業してなるほどと思いました」
環境によって変わった意識
一方、陸上は徐々に手応えを感じられるようになった。
「最初はあまりにも走れなくて、本当にヤバいと思いました。朝練とかしたことがなかったのですが、みんな意識が高いし、めちゃ走るんですよ。そういう姿勢に影響を受け、自分もやるようになって徐々に変わっていくのを感じました」
陸上での成長とともに父との関係についても変化が生じた。家から離れることで親のありがたみを感じ、中学3年時は顔も見たくないと思っていたが、自宅で父と陸上の話ができるようになった。