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「現役続行か、出産&育児のため引退か」悩む29歳の女性ランナーを救った母親からの一言…前田彩里が異例の「産後のマラソン復帰」を決断するまで
posted2024/02/18 17:01
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph by
Nanae Suzuki
マラソンは、母がずっとやっていました
ダイハツに入社した前田彩里は、すぐにマラソンに挑戦したい旨を当時の監督に告げた。というのも実は、大学4年の1月に大阪国際女子マラソンに出場していたのだ。
「マラソンは、母がずっとやっていましたし、その姿を見ていたので、その影響が少なからずあったと思います。小さい頃は、その応援で全国に行き、それが旅行みたいで楽しかったんですよ。大学時代、マラソンに挑戦してみたいと思っていましたので、佛教大の監督に相談すると、『マラソンがどんなものかを経験するために走るならいいよ』と言われ、それで走ることを決めました」
「すごく脅された」初マラソン
12月に富士山女子駅伝があるので、その練習をしつつ、大阪で30kmのレースに出た。駅伝が終わって帰省する前に30kmをもう1本こなした。11月半ばにも30kmを1回終えており、マラソンまでロング走は、30kmを3回しただけだった。レースは、市民ランナーの母も走る予定になっており、「30kmで足、止まるよ」と言われた。
「すごく脅されていたんですけど、いざ走ると全然止まらへんやんって(笑)。それは前に行かず、ひたすら1km3分30秒をキープし、キツくないペースで行こうと決めていたからです。今、3分30秒で行っていたら何してるのって感じですけど、その時は市民ランナーみたいな感じで走っていましたし、沿道からも声援をいただけて、すごく楽しかったです」
大学の時とは比べものにならないぐらい練習をする環境
前田は、初のフルマラソンとなる大阪国際女子マラソンで2時間26分46秒(当時の学生記録)のタイムを出した。その勢いで2カ月後にダイハツに入社するも、卒業するまでの「最後の大学生活」で羽を伸ばし過ぎたせいで、最初は練習についていくことができなかった。